ご当地グルメご当地グルメ(ごとうちグルメ)は、日本の特定地域内において、地域振興活動の一環として伝統にこだわらず開発・発祥・定着した料理の総称である[1]。B-1グランプリ主催者は「B級ご当地グルメ」の呼称を推奨しているが、根付いているとは言い難く、一般的にはご当地グルメ(B級ご当地グルメ)を「B級グルメ」と呼ぶことも多い[2]。 近年、各地でご当地グルメを利用した地域振興活動が盛んに行われており[1]、雑誌やテレビなどで多く取り上げられている。 概要かつて、日本においては物流の整備と発展により、海から遠い山深い温泉地であってもマグロの刺身が提供されるなど食に感動があったとは言い難かった[2]。しかしながら、『旅行者動向2009年』(日本交通公社)に拠れば、旅行の目的は第1位の「日常生活からの解放」に次ぐ2位が「グルメ旅行」となっているなど、食が主要な観光資源になっている[2]。 郷土の歴史と文化が色濃く、旅行者にとってはその地域の個性のとの触れ合いがあり、その地域の歴史の発見が体験でき、地元の市民との交流につながるのが、ご当地グルメである[2]。 2006年から開催されるようになった「ご当地グルメでまちおこし団体連絡協議会(通称:愛Bリーグ)」主催によるB-1グランプリは成功を収めた[2]。一例として2010年に神奈川県厚木市で開催された第5回B-1グランプリでは46団体が参加し、2日間の会期中の人手は43万5000人、PR効果を含めた経済効果は約36億円に上ったとされる[2]。こうして、ご当地グルメは、「大金をかけずに地域経済を潤す切り札」として最も効果の高い地域おこしの手法と注目され、日本全国に波及して、類似イベントが開催されるようになり、日本は「ご当地グルメによる地域おこし」の時代というべきものとなった[2]。 定義大まかには、以下のように定義づけられる[2]。
田村秀は著作『B級グルメが地方を救う』(2008年、集英社新書、ISBN 978-4087204629)で、(カレーや焼きそばなどは)あえてカタカナ言葉で呼んだほうが似つかわしく身近に感じがすると指摘している[2]。 歴史第二次世界大戦後の日本では、政府は主に工業化に力を入れ、地場産業の育成、企業誘致、新産業の育成といったいわゆる「箱物」に注力した[2]。 しかしながら、経済のグローバル化が進んだことで製造業の多くは生産拠点を日本国外に移転するようになり、日本国内で新規展開を図る企業は減った[2]。地方はシャッター通りが目に付くようになり、商業の空洞化が顕著になった[2]。地方活性化を目的として日本各地にテーマパークが建設されるが、これらも次々と閉園に追い込まれ、合わせて不況の長期化が拍車をかけたことで日本の人々は生きていくのに精一杯な状況に追い込まれていった[2]。 一方、各地域で農作物の直売所、農村加工といった「食」による地域おこしやブランド戦略が脚光を浴びるようになっており、その地域から出たあまり知られていない素材や、埋もれていた素材をブランド化することによって、それを目当てに人が訪れて、金を落とし、その土地に経済の波及効果による好循環が生まれることで、地域活性化に結びつけようという論理ができた[2]。この論理による地域活性化が、ご当地グルメが拡大をした理由であり、本来の目的である[2]。 こういった食のブランドと地域をむすび付け、地域の活性化に役立った食品は以前から数多くあり、赤福餅(三重県)、白い恋人(北海道)、福さ屋の辛子明太子(福岡県)、崎陽軒のシウマイ(神奈川県)、鐘崎の笹かまぼこ(宮城県)などが挙げられる[2]。しかしながら、食品偽装問題などにより「食の信用」は崩れかけることになる[2]。 食のブランド化と地域活性化が脚光を浴びるようになったのは、渡辺英彦が会長を務める富士宮やきそば学会による富士宮やきそばによる成功である[2]。渡辺は誰もが思い描いていた「地域に埋もれていた食による地域おこし」を具現化させ、成功させた[2]。 2006年に八戸せんべい汁研究所のプロデュースで開催されるようになったB-1グランプリもまた、「まちづくりのためのB級ご当地グルメコンテスト」と、まちづくりを主題に位置づけ、参加資格も「まちづくりのため」が重点ポイントとされている[2]。 ご当地グルメの分類大きく「発掘型」(または「老舗型」、「発見型」)と「開発型」に分けられる[3]。 発掘型と比べて、開発型は地域との関係が希薄にならないよう注意する必要がある[4]。 また、開発型は商品の創作から定着するまでに時間がかかること、飲食店が主体となった営利活動のイメージがあること、地域住民の参与意識が低いことといった課題があることが指摘されている[5]。 総じて、開発型は、開発から販売、イベント開催やメディアでの広報といったあらゆる過程において、地域との関係性および他地域との差別化といった課題に直面することもあって、成功事例は少ない傾向にある[5]。 ご当地グルメの種類→「B級ご当地グルメ一覧」を参照
日本の各県、各都市で数多くの商品が開発され、コンテストも開催されており、地域経済の活性化、街自体の元気を求めいる[2]。 しかしながら、「コンテストあり」で企画されることも少なくはなく、「まちおこしあり」で企画されるべきであるとご当地グルメの仕掛け人とも呼べる富士宮焼きそば学会の渡辺英彦会長はこの点がもっとも歯がゆいとコメントしている[2]。 実際、ご当地グルメ作りが一過性の活動で終わることも少なくなく、一例として2010年までB-1グランプリに参加していた浜焼き鯖バラちらし寿司(小浜市)は2010年12月時点では小浜市から姿を消している[2]。 ご当地グルメ開発の特徴ご当地グルメを開発する場合、活動主体が異なることで、それぞれに特徴がある[2]。良い悪いがあるわけではないが、以下に成功例を事例として記す。 市民団体によるによる例
市役所主導による開発後に市民ボランティアの例
市役所主導による開発後に業者の例
自然発生的な事業者主体の例
ご当地グルメの意義上述のようにご当地グルメの意義は地域活性化、まちづくりである[2]。ここで言う「まち」とは、市町村の町ではなくて、「すべての人の顔がわかるコミュニティの範囲において、自主性と責任を持った市民が共通目標のもとに相互扶助的なかかわりを持った集団」の意味である[2]。 人間らしく暮らす住みよい「まち」こそが、目指す「まちづくり」であり、住んでよいまちが訪れてよいまちであるため、観光地づくりの基本理念とされる[2]。 問題点マスコミに取り上げられ知名度が高まったご当地グルメには、新たな問題点も発生しており、以下に例示する[2]。
参考文献
出典
関連項目外部リンク
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