1913年に「西部の娘」の上演のためウィーンを訪れたプッチーニはカール劇場(英語版)から作曲の依頼を打診されるが、10曲程度のナンバーを台詞でつなぐオペレッタの形式にあまり興味を示さなかった。しかし、「西部の娘」に続くオペラの題材探しがプッチーニの常として難航し、さらにプッチーニの作品を一手に扱っていたリコルディ社の経営者がジューリオ・リコルディ(英語版)の死によって息子のティートに交替し、プッチーニと軋轢が生じていたことから、ウィーンからの依頼を受ける考えが芽生えた[8]。当初はカール劇場から提供されたヴィルナー(Alfred Maria Willner)とライヒェルト(Heinz Reichert)による台本をアダーミがイタリア語訳し、1914年夏から作業が進められたが、リブレットはアダーミによって通作形式のオペラに仕立て直されることになった。
パリ、マグダの家のサロン。裕福な銀行家ランバルドの愛人として暮らしているマグダの家へ友人たちが集まり、詩人のプルニエが恋について話している。彼はピアノを弾きはじめ、自作のヒロイン、金ではなく愛を選んだドレッタについて歌うが、途中で詰まったところでマグダがそれを引き継ぎ、学生に恋したドレッタに託して自分の愛への憧れを歌う(「誰がドレッタの美しい夢を」Chi il bel sogno di Doretta potè indovinar?)。ランバルドは彼女へ真珠の首飾りを贈る。
マグダは女友達たちに、かつてブリエの店で恋に落ちた経験を話してみせる(「甘く清らかなひとときだった」Ore dolci e divine - 「お嬢さん、恋は花開いた」Fanciulla è sbocciato l'amore!)。ランバルドが友人の息子であるルッジェーロを連れて入ってくるが、それと並行してマグダの手相を見ていたプルニエは、彼女がいつか「つばめのように海を渡って、恋をする」と予言する。ルッジェーロがパリの夜を過ごすにはどこがいいかという質問にさまざまな提案が帰ってくるが、マグダの小間使いのリゼッテはブリエの店がいいと言い、一同はそれに賛同する。
ブリエの店。人々で賑う店へマグダが現れ、声をかけてくる学生たちをあしらいながら、一人でいたルッジェーロのテーブルに座り名乗らないままに話しかける。二人は会話するうちに距離が縮まり、ルッジェーロはマグダを踊りに誘う。ワルツが展開していき、その途中にリゼットとプルニエが現れる。踊り終わったルッジェーロとマグダは愛を確信し、マグダは「パウレッテ」Pauletteと名乗る。リゼットはマグダに気づいて驚くが、プルニエは人違いだと言って聞かせる。ルッジェーロがマグダへの愛を歌いだし、ほかの登場人物や合唱が加わりコンチェルタートとなる(「あなたのさわやかな微笑みに乾杯」Bevo al tuo fresco sorriso)。