アメリカ航空諮問委員会(アメリカこうくうしもんいいんかい、National Advisory Committee for Aeronautics、NACA)は、1915年3月3日に設立されたアメリカ合衆国連邦政府の機関の1つである。航空工学の研究の請負、推進、制度化等を担う。1958年10月1日にこの組織は解体され、資産や人員は、新設されたアメリカ航空宇宙局(National Aeronautics and Space Administration、NASA)に移った。頭字語のNACAは、アクロニムの「ナカ」ではなく、アルファベットごとに区切って「エヌエーシーエー」と読む[1]。NACAの成果は、今日の航空機にも用いられている。
設立
NACAは、第一次世界大戦中に、戦争関連のプロジェクトの産官学の連携を推進するための緊急措置として誕生した。ヨーロッパで作られていた、フランスの“L’Etablissement Central de l’Aerostation Militaire”、ドイツの“Aerodynamical Laboratory of the University of Gottingen”、ロシアの“Aerodynamic Institute of Koutchino”、そして最も影響を与えたイギリスの“Advisory Committee for Aeronautics”等の類似の国家機関がモデルにされた。
1958年1月14日、ドライデンは、スプートニク・ショックを受けて"A National Research Program for Space Technology,"という文書を出し、宇宙開発技術の拡大を訴えた[7]。
1958年3月、大統領直属科学諮問委員会委員長のジェームズ・キリアン
は、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領に対し、"Organization for Civil Space Programs,"と題する覚書を渡し、NASA設立の認可を要請した。彼は、非軍事の宇宙計画は、NACAの強化と再組織化に基づくべきだとし、NACAは7,500人の職員と3億ドルの施設を有する「進行中の連邦研究組織」であることを指摘して、「最小限の遅れで」研究計画を拡大することができるとした[7]。
NASAの諮問機関
NASAが1958年に設立されると、NACAは解体され、ラングレー研究所、エイムズ研究センター、グレン研究センター等の研究施設は、アメリカ陸軍やアメリカ海軍のいくつかの施設とともに新しい組織に引き継がれた。1967年、アメリカ議会はNASAに、NASA長官に対して、NASAの宇宙計画の安全性の問題や危険性について助言を与えるAerospace Safety Advisory Panel (ASAP)を設置することを指示した。さらに、NASAには、Space Program Advisory CouncilやResearch and Technology Advisory Council等の諮問機関も設置された。
1977年、これらが合併し、NASA Advisory Council (NAC)が設置された[11]。