アルメニア高原 (アルメニアこうげん、アルメニア語 : Հայկական լեռնաշխարհ )、またはアルメニア台地 は、3つの台地 の集合が中央部で高まりを形成する、中東 北部内陸の地形である[ 1] 。
西部にはカッパドキア 東部からエーゲ海 低岸までゆるやかに下降するアナトリア 高原があり、南東部には標高600メートルから1500メートルまで急激に高まりをみせるイラン高原 がある[ 1] 。
古典古代 には、アルメニア人 の一大居住域であったことから「大アルメニア 」と呼ばれ、小アルメニア (英語版 ) 、キリキア 、ソフェーネ (英語版 ) と共に4地域からなるアルメニア人地域の一部をなしていた[ 2] [ 3] 。
地理
総面積は約40万平方km2[ 4] 。
かつては火山活動 が盛んな地域であり[ 5] 、結果として今日では広範囲に渡る火山地形 や山塊 群がみられる[ 6] 。
更に、テクトニクス によってセヴァン湖 、ヴァン湖 、オルーミーイェ湖 の3つの巨大湖も形成されており[ 6] 、アルメニア高原は水資源に恵まれた土地でもある[ 7] 。
酸性の温泉水には湯治の効能があるとされ、ジェルムク (英語版 ) やアルズニ (英語版 ) では湧水を利用したリゾート開発も行われている[ 8] 。
アルメニア高原の大部分はトルコ の東アナトリア地方 に属するが、イラン 北西部、ジョージア 南部、アゼルバイジャン 西部、そしてアルメニア 全域も領域に含んでいる[ 4] 。
広義には東トロス山 (ロシア語版 ) とクルド山地 (英語版 ) までも領域に数えられる[ 9] 。
北東部は小カフカース山脈 としても知られるアルメニアの文化 (英語版 ) の中心地である[ 10] 。その他にも、ジャヴァヘティ台地 (英語版 ) 、カルス 台地、ゲガム山脈 (英語版 ) 、ヴァルデニス (英語版 ) 台地、カラバフ台地 (英語版 ) 、アグダグ山塊 (uk ) を内包する[ 11] 。
植生
今日のアルメニア高原はほぼ森林を欠いているが、古代に緑豊かであった面影は、ポントス山脈 やクルド山地などに残されている[ 12] 。盆地部にはステップ と半砂漠性の植生がみられ、川沿いには草原や低木の茂みも広がる[ 12] 。
山麓部のオアシス は綿 やタバコ の栽培に適し、エレブニ自然保護区 (英語版 ) にはコムギ や他の栽培植物 が野生化した植生がみられる[ 12] 。湿潤な風の吹く山腹ではマツ やナラ の林が優勢となっており、その他の場所はイバラやビャクシン属 の茂みと岩場が点在する[ 12] 。茶色の土壌や塩生湿地にはピスタチオ 、エノキ 、サボテン 類といった乾燥性亜熱帯型の森林も確認されている[ 12] 。
歴史
アルメニア高原は、伝統的にエデンの園 の所在地と信じられていた[ 13] 。また「鉄器時代 発祥の地」とも称され、最古の製鉄が紀元前2千年紀 末には行われていたと考えられている[ 14] 。『ギルガメシュ叙事詩 』では、メソポタミア神話 の地アラッタ はアルメニア高原に位置するとされている[ 15] 。
また、この地で採れるアンズ はローマ人 によって prunus armenicus (アルメニアのスモモ )と呼ばれ、ヨーロッパ へも輸出される特産品であった[ 1] 。
古典古代から中世 に渡って、アルメニア高原はパルティア帝国 、サーサーン朝 、東ローマ帝国 、イスラーム帝国 など様々な支配者による統治を経験した[ 16] 。さらに時代が下ると、高原全域はサファヴィー朝 とオスマン帝国 による争いの舞台とされ、1639年 までのオスマン・サファヴィー戦争 (英語版 ) の結果、カスレ・シーリーン条約 (英語版 ) によって、高原の西アルメニア (英語版 ) 部分がオスマン領とされた[ 17] 。19世紀 後半になると、オスマンの支配から外れていた領域の高原は、4度に渡るロシア・ペルシャ戦争 の結果として、ガージャール朝 からロシア帝国 の手に移っている[ 18] 。また、アルメニア高原は戦略的要衝であったばかりでなく、カスピ海 からアララト平野 を経由して黒海 へ至るまでの、陸上貿易の輸送路としても活用されていた[ 8] 。
第一次世界大戦 はオスマン領内でアルメニア人虐殺 が発生したが、「東アナトリア」という地域名はその隠滅のために作り出されたものである、と歴史家のリチャード・G・ホヴァニスィアン (英語版 ) は主張している[ 19] 。その後のアルメニア高原はトルコ 、ソビエト連邦 とイランによって分割されていたが、1991年 のソビエト連邦の崩壊 に伴い、ソ連領となっていた部分はさらにジョージア(グルジア)、アゼルバイジャン、そしてアルメニアへと分割された[ 15] 。
脚注
^ a b c Hewsen, Robert H. "The Geography of Armenia" in The Armenian People From Ancient to Modern Times Volume I: The Dynastic Periods: From Antiquity to the Fourteenth Century . Richard G. Hovannisian (ed.) New York: St. Martin's Press, 1997, pp. 1-17
^ Adalian, Rouben Paul (2010). Historical Dictionary of Armenia . Historical Dictionaries of Europe (Book 77) (Second ed.). Lanham, Maryland (英語版 ) : Scarecrow Press. pp. 336-338. ISBN 978-0810874503 . https://books.google.co.jp/books?id=QS-vSjHObOYC&printsec=frontcover&hl=ja#v=onepage&q&f=false
^ Mørkholm, Otto (1991). Grierson, Philip ; Westermark, Ulla. eds. Early Hellenistic Coinage from the Accession of Alexander to the Peace of Apamaea (336-188 B.C.) . Cambridge : Cambridge University Press . p. 175. ISBN 978-0521395045 . https://books.google.co.jp/books?id=U_5Ez0kAOuIC&printsec=frontcover&hl=ja#v=onepage&q&f=false
^ a b “Armenian Highland ”. Encyclopædia Britannica . 2015年9月27日 閲覧。
^ Volcanoes, their structure and significance Thomas George Bonney - 1912 - Page 243
^ a b Emerald Network Pilot Project in Armenia , Council of Europe .[リンク切れ ]
^ Der Völkermord an den Armeniern, Nikolaĭ Oganesovich Oganesian - 2005- Page 6
^ a b “Древнейшие племена, народности и Государства Армянского Нагорья ”. История.ру. 2015年9月27日 閲覧。
^ Магакьян И. Г. (ロシア語版 ) . “Армянское нагорье ”. Большая Советская Энциклопедия . 2015年9月27日 閲覧。
^ West, Barbara A. (2009). Encyclopedia of the Peoples of Asia and Oceania . New York : Facts on File. p. 47. ISBN 978-0816071098 . https://books.google.co.jp/books?id=pCiNqFj3MQsC&printsec=frontcover&hl=ja#v=onepage&q&f=false
^ Армянское нагорье / География. Современная иллюстрированная энциклопедия. — М .: Росмэн. Под редакцией проф. А. П. Горкина. 2006. стр.42 (624) ISBN 5-353-02443-5 , 9785353024439
^ a b c d e Боголюбов А.С. . “Армянское нагорье и Закавказье ”. Экологический центр "Экосистема". 2015年9月27日 閲覧。
^ Mesopotamian Trade. Noah's Flood: The Garden of Eden, W. Willcocks, H. Rassam pp. 459-460
^ Lang, David M . Armenia: Cradle of Civilization . London: George Allen & Unwin, 1970, pp. 50-51, 58-59.
^ a b Encyclopedia of the Peoples of Asia and Oceania, By Barbara A. West, 2009, p. 47
^ Peimani, Hooman (2009). Conflict and Security in Central Asia and the Caucasus . Santa Barbara, California : ABC-CLIO (英語版 ) . p. 232. ISBN 978-1598840544 . https://books.google.nl/books?id=5MOYzS3IDTQC&printsec=frontcover&hl=nl#v=onepage&q&f=false
^ Holding, Deirdre (2014) [2003]. Armenia: with Nagorno Karabagh . Bradt Travel Guide (4 ed.). Guilford, Connecticut (英語版 ) : Globe Pequot Press. p. 19. ISBN 978-1841625553 . https://books.google.nl/books?id=Gbz-AwAAQBAJ&printsec=frontcover&hl=nl#v=onepage&q&f=false
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^ The Armenian Genocide: Cultural and Ethical Legacies - Page 3, by Richard G. Hovannisian - 2011
関連項目
外部リンク
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