アントニオ・カルロス・アンドレ(ポルトガル語: Antonio Carlos Andre, 1958年3月24日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(攻撃的MF)。日本での登録名はアンドレ。
来歴
CRフラメンゴの育成組織で育ち、18歳の時にトップチームとプロ契約を締結[2] 。ブラジル代表のジーコとチームメイトとなったが、1979年にはアメリカーノへ1年間、1980年にはバイーアへ半年間に渡りレンタル移籍をした[2]。
フラメンゴ退団後はロンドリーナ、ブラジウ、インテルナシオナル、ジョインヴィレなどのクラブを渡り歩いた後、1984年にキンゼ・デ・ジャウーへ移籍[2]。ブラジウへの半年間のレンタル移籍後、CSAを経て1987年にキンゼ・デ・ジャウーへ復帰[2]。
同年9月13日[3]、同僚のアディウソンとともに日本サッカーリーグ (JSL) 1部のヤマハ発動機に移籍した[2] 。ヤマハにとっては初の外国人選手であり、1987-88シーズン開幕まで1か月に迫った中での移籍となった[2] 。合流の遅れを不安視する声もあったが[4]、開幕戦からスタメンに名を連ねると攻守にわたる精力的な働きで[5]、アディウソンとともに攻撃陣を牽引[4]。1987年5月21日に行われたJSL1部第20節、マツダ戦での決勝点を含む8得点をあげてヤマハのリーグ初優勝に貢献し[4]、年間優秀11人賞に選ばれた[6]。翌1988-89シーズンにはコダック・オールスター・サッカーに出場しMVPに選ばれた[6][7]。1989-90シーズン後にブラジルに帰国し[8]、アトレチコ・パラナエンセに所属した後、1991-92シーズンにヤマハに復帰[1]。この時点で33歳となり体力的な不安はあったが、長澤和明監督から円熟味のあるプレーを評価されての復帰だった[1]。同シーズンには3年ぶりにコダック・オールスター・サッカーに出場した[6]。
引退後は指導者となり静岡FCの監督[9]、2003年にサガン鳥栖のコーチを務めた[10]。
2007年からはグランセナ新潟FCのサッカースクールや育成部門のコーチを務めたほか[11][12]、クラブから派遣されて北越高等学校サッカー部のコーチを務めた[13]。
2022年現在は北信越フットボールリーグ2部に所属するグランセナ新潟FCのトップチーム、新潟県社会人サッカーリーグ3部に所属するグランセナ新潟FCアミーゴスの監督を務めている[9]。
個人成績
- 註1 1回戦の大阪体育大学戦のメンバーについては不明。
その他の公式戦
指導歴
選抜歴
個人タイトル
脚注
関連項目