アンドレ・グライペル
アンドレ・グライペル(André Greipel、1982年7月16日- )は、ドイツ・ロストック出身の自転車競技選手。 経歴2006年、T-モバイル(後の HTC - ハイ・ロード)に移籍。 2008年、ジロ・デ・イタリアに出場。区間優勝を十分に狙える脚を持ちながら、最終発射台としてエースのマーク・カヴェンディッシュの区間2勝に貢献。すると、終盤の第17ステージにおいて完璧な仕事をしたトレインの最終発射台として最終直線で先頭に出ると、追走するカヴェンディッシュは後方を牽制しながら速度を緩め、そのまま見事な仕事をしていたグライペルに勝利を譲った。しかしこのジロ限りでマーク・カヴェンディッシュとともに同チームから出場することはなくなった[注釈 1]。 2009年、ブエルタ・ア・エスパーニャで並み居る強豪スプリンターたちを抑え、ポイント賞と区間4勝を獲得。 2011年、チーム・HTC-コロンビアでは充分な機会が与えられないことを不満に思い[注釈 2]、オメガファーマ・ロットに移籍。同年、初出場したツール・ド・フランスにてカヴェンディッシュを破り第10ステージで優勝。 2012年、ツールではカヴェンディッシュに加えスロバキアの超新星、ペーター・サガンとの区間争いとなり、3人の中では最年長ながら区間3勝をあげた。 2013年はドイツチャンピオンとしてツールに参戦。序盤のスプリントステージで昨年の三つ巴合戦になり、第6ステージでサガンを抑えて優勝。しかし、その後のスプリントステージでは同胞の若手マルセル・キッテルの後塵を拝し続け、結局区間1勝に終わった。 2014年、ドイツ選手権を連覇し臨んだツールでは、昨年大ブレークしたキッテルに苦戦するも、キッテルがトラブルで遅れていたとはいえ、第6ステージで意地の勝利をあげた。 2015年はジロに出場。マイケル・マシューズやエリア・ヴィヴィアーニら若い世代が活躍するなか第6ステージで優勝。その後、ツールに備えリタイア。 ドイツ選手権3連覇とはいかなかったが、ツールでは最初のスプリントステージである第2ステージでサガンを僅かに交わして優勝。念願のマイヨ・ヴェールに袖を通す。第5ステージでもサガンの猛烈な追い上げを封じて2勝目をあげる。 ピレネー山脈ステージを終え、久々のスプリントステージとなった第15ステージでは、サガン、アレクサンダー・クリストフ、ヨーン・デーゲンコルプの追撃を抑え3勝目を勝ち取る。そして、スプリンターが最も欲するタイトルの1つであるパリ・シャンゼリゼの勝利を目指し最終第21ステージへ。ブリアン・コカールの急激な猛加速をも抑え、区間4勝、シャンゼリゼでの勝利を飾り、グライペルにとって最高ともいえるツールとなった。 2016年は昨年と同じくジロとツールに出場。ジロでは中盤までにポイント賞ジャージと区間3勝を獲得していたが昨年同様ツールのためリタイア。ツールでは復活したカヴェンディッシュやロンド・ファン・フラーンデレンを制した好調サガンの前に苦戦。しかし最終第21ステージでは2年連続で優勝し、何とかグランツール連続出場ステージ優勝記録を更新した。 2017年は100回記念大会となったジロに3年連続出場。しかしコロンビアの新星フェルナンド・ガビリアの強さに屈し続けるも、第2ステージで優勝し、1日だけながら、初めてマリア・ローザを着用した。 ツールでは好調なキッテルの力にグライペルだけでなく他のスプリンターたちも圧倒されてきたが、当のキッテルが第17ステージでリタイアしたため、シャンゼリゼで3年連続優勝を狙ったもののディラン・フルーネヴェーヘンに僅かに届かず、区間優勝なしのツールとなった。それと同時に、グランツール連続出場ステージ優勝記録が12で途絶えた。 2020年は成績が振るわず、プロ入り以降初となる年間0勝に終わった。 2021年は2勝を挙げ、最後のレースとなったシュパルカセン・ミュンスターラント・ジロでは終盤まで先頭集団で優勝争いに加わったが、最終的に10位となり現役選手生活に終止符を打った。 特徴強力なスプリント力を持つ、典型的なスプリンタータイプの選手。チームHTC-コロンビア在籍時代の2009年にはチーム内2位の20勝をマークし、チーム内1位の26勝を上げたマーク・カヴェンディッシュと並ぶチームHTC-コロンビアのスプリンター2枚看板として、ステージレースにおける区間優勝ハンターとして活躍していた。リドレーの製品開発にも協力している。 エピソード主な戦績2005年
2006年2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2015年
2016年
2017年
2018年
2019年
2021年
脚注注釈出典
外部リンク
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