イバン・ファンディーニョ
イバン・ファンディーニョ・バロス(スペイン語: Iván Fandiño Barros, 1980年9月29日 - 2017年6月17日)は、スペイン・バスク州ビスカヤ県ウルドゥニャ/オルドゥニャ出身の闘牛士[1]。フランスのランド県エール=シュル=ラドゥールにおいて、闘牛中に角で突かれて死亡した[2]。 経歴昇格1980年9月29日にバスク州ビスカヤ県ウルドゥニャ/オルドゥニャに生まれた。家族に闘牛士はいなかったが、14歳の時に将来の夢をバスク・ペロタ選手から闘牛士に変えた。1999年8月16日、アラバ県ラウディオ/リョディオの闘牛場でノビジェーロ(見習い闘牛士)としてデビューした。2002年6月2日、ウルドゥニャ/オルドゥニャの闘牛場で槍士(ピカドール)としてデビューした。 2004年9月12日、マドリードの闘牛場で正闘牛士としてデビューした。2014年にはエクアドル人種畜家の娘と結婚し、一子(娘)を儲けていた。スペイン国営ラジオ(RNE)が選出する年間最優秀闘牛士に2年連続で選ばれた。ファンディーニョは正闘牛士として12年間のキャリアを持ち、数々の賞を受賞していた[1]。 事故2017年6月17日、フランス・ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ランド県エール=シュル=ラドゥールの闘牛場で開催されていた闘牛祭において、闘牛に突かれて死亡した。ファンディーニョは闘牛の気を散らすためのムレータに足を取られてよろめき、肺などの胴体を背後から角で突かれたのである[3][4]。すぐにアリーナから運び出され、闘牛場内の医務室で緊急手術を受けたが[1]、搬送先のモン・デ・マルサン病院で死亡が確認された[4]。ファンディーノを突いた闘牛にとどめを刺した正闘牛士のフアン・デル・アルモは、「言葉がない。信じられない」と語った[1]。スペイン人闘牛士としては、2016年7月9日にテルエル闘牛場で死去したビクトル・バリオに次ぐ死者だった。 脚注
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