イバ・ラーヤブ
イバ・ラーヤブ(Ibba Laajab)ことアブドゥラーヒム・ラーヤブ(ノルウェー語: Abdurahim Laajab, 1985年5月21日-)はノルウェー・オスロ出身のプロサッカー選手、元フットサル選手。ポジションはフォワード。 横浜FCでは2017シーズンにJ2リーグで25得点し、得点王に輝くなど、エースとして活躍した。また、同クラブの歴代通算最多得点者(リーグ通算78得点、総通算80得点)である。 サッカー経歴ユース時代はヴォレレンガ・フォトバルやモスFKでプレー[1][2] したのち、友人のつてでスケイド・フォトバルに加入[1]。スケイドではモアらとチームメイトになった[3]。 当初スケイドでのプレー時間は限られていたが、2004年シーズン後半からは出場機会をつかみ2得点を挙げた。2005年シーズン序盤、チームメイトのモアとともにラ・マンガで開催されていたローゼンボリBKのプレシーズンツアーに参加[4]。ドレバク=フログンILへの短期レンタルを経て[2] 3部に所属していたセルムスンドIFに移籍[5]。 2006-2007シーズン、ボルシア・メンヒェングラートバッハ[5] に移籍。アシスタントコーチのヨルン・アンデルセンとはノルウェー語で会話していたが、翌シーズン監督・ヘッドコーチが交代しノルウェー語話者がいなくなると、周囲とのコミュニケーションに支障をきたすようになった。最終的にイバ側からの要望で契約は解除された[3]。なお出場はリザーブチームのみでトップチームでの出場機会はなかった。 2007年スケイドに復帰し、2008シーズン序盤にノトデンFKに移籍[6]。 Jan Halvor Halvorsen監督の下ではレギュラーとしてプレーしたが、Arne Sandstøが新監督に就任するとベンチが定位置となりシーズン終了後に退団。2010年序盤にスペイン2部のエルチェCFのトライアルに参加。契約をオファーされたがそれを拒否してミェンダーレンIFに加入[3]。 2011年はストレンメンIFでプレー。アデコリーガエンで24試合に出場し7得点を挙げた[7]。翌シーズンヴォレレンガに移籍[1][8]。1月の親善試合でトップチームデビュー[9]。6試合に出場したのち8月にスターベクIFにシーズン終了まで期限付き移籍[10]。 2013年FKボデ/グリムトに3年契約で移籍[11][12]。 2015年2月、中国サッカー・甲級リーグの河北華夏幸福足球倶楽部に移籍[13]。 横浜FC2016年3月、Jリーグ・横浜FCに移籍[14]。1年目からエースとして活躍し、2016シーズンは4月9日、J2第7節のギラヴァンツ北九州戦で初ゴール[15] を含む2ゴールを決めるなど[16]、チームトップ・リーグ3位タイの18ゴールをマーク。2017シーズンも引き続き主力を担い、4月には29日のロアッソ熊本戦でハットトリックを達成[17] するなどの活躍で月間MVPを獲得[18]。最終的に25ゴールまでスコアを伸ばしリーグ得点王に輝いた。2018年も8月11日の熊本戦でハットトリックを決めるなど[19]、チームトップの17ゴールを決めた。2019年は終盤にはスタメンを外されることが増えたが、7月31日のレノファ山口FC戦でJ2でのキャリアで通算3回目のハットトリックを決めるなど[19]、18ゴールを決め[15]、J1昇格に貢献した。 2020年シーズンは出場機会が激減し、自身初となったJ1シーズンはリーグ戦1試合、ルヴァンカップ2試合の公式戦3試合の出場にとどまった。 大宮アルディージャ8月26日、大宮アルディージャに完全移籍により加入した[20]。しかし大宮ではチームに馴染めず、先発10試合、途中出場3試合と合計13試合に出場したが、ゴール数は1に留まった。翌年の2021年の序盤は出場機会が無かったが、中盤以降は少しずつ出場数も増え、結果22試合3ゴールに終わった。しかしシーズン終了後に契約満了が発表された。 フットサル経歴2011年1月13日に開催されたマルタ代表戦でノルウェー代表デビュー。この試合ハットトリックの活躍で7–2の勝利に貢献した[21]。翌日のマルタ戦で再びハットトリックを達成。さらに20日開催の2012 UEFAフットサル選手権予選・イスラエル戦で三度ハットトリックを達成。初出場から3試合で9得点を挙げるという鮮烈なデビューを飾った[22]。 2011年12月18日開催の2012 FIFAフットサルワールドカップ予選・ベルギー代表戦でゴールを挙げ、プレーオフ進出に貢献した[8]。 個人成績
その他の公式戦
受賞脚注
関連項目外部リンク
|