エイバル (バスク語 : Eibar 、スペイン語 : :Éibar )は、スペイン ・バスク州 ギプスコア県 のムニシピオ (基礎自治体)。公式名はバスク語表記のEibar 。
地理
エイバルはデバ川 盆地にあり、ビスカヤ県 と接している。エゴ川に面しており、アラーテ、アコンディア、ウルコなど山地に周囲を囲まれている。
社会
ウンツァガ広場と市庁舎
産業と労働は、エイバル住民が常に誇りとしている。産業とは、歴史的に武器製造である。このために別称でシウダー・アルメラ(Ciudad Armera、鉄砲工の都市)と呼ばれている。バスク大学 の工業技術工学学校が所在する。
エイバルの武器製造に触れている最古の文献は1481年のものである。それ以前から、鉄の製造は地域の重要な経済活動であった。近接するプラセンシア・デ・ラス・アルマスに王立武器工場ができてから20世紀初頭の産業革命までの間の経済沸騰が、現在のエイバル住民の特異性を形成した。最初は鍛冶場で、後には共同の工房(自宅を兼ねていた)がエイバル経済の基盤であり続けてきた。製品を作り上げる過程での様々な義務の履行は、人々の間での助け合いや平等主義を生み出した。労働組合運動がマルクス主義 と融合される以前から、エイバルはリベラルであった。カルリスタ戦争 でバスクの多くの自治体がカルリスタ軍に従った中で、自由主義を掲げる政府軍についた。
歴史
サン・アンドレス教会
スペイン内戦中の爆撃跡
1949年、エイバルを訪問したフランコ
エイバル近郊で発見された遺跡から、エイバルには新石器時代 から定住地があったことが証明されている。ローマ人たちがこの地域を征服したときには、カンタブリア人またはケルト人 、ヴァスコン人 と関連があるのではないかとされるカリスティオス族(es )が暮らしていた。ローマ人はデバ川谷にコンウェントゥス・デ・クルニア(conventus de Clunia)という政治形態をもうけ、これは西ゴート王国 時代まで存続した。
デバ川谷のエイバル近郊がパンプローナ王国 に従うようになり(のちにはナバラ王国 領)、ドゥランゲサド郡に含まれた。この地域がギプスコアとビスカヤ領の境界となると、線で分断された両側はマルキナ(Marquina)と呼ばれた。デバ川谷はマルキナ・デ・ユソ、マルキナ・デ・スソとして定義された。マルキナ・デ・スソの地にサン・アンドレスのアンテイグレシア が設置され、修道院の概念を持っていた。エイバルが初めて歴史上に名が現れるのは1193年である。1346年、アルフォンソ11世 がサン・アンドレスの教区に町としての特権を与えた。新しい町はビリャヌエバ・デ・サン・アンドレス・デ・エイバル(Villanueva de San Andrés de Heybar)と呼ばれた。末尾のエイバルは、EhibarまたはHeybarの綴りで15世紀末に現れている。
Eibarとは、後半の-ibarがバスク語で谷を意味する。先頭のEは、エゴ川(Rio Ego)からとられたという説がある。
19世紀の産業革命で新たに国際的な労働組合運動や社会主義がもたらされた。1897年にエイバルの労働者たちは初めてストライキ を行った。1931年4月14日、エイバルにてスペイン共和国 誕生が宣言された。この時に、『非常に典型とされるべき都市』(Muy Ejemplar Ciudad)と贈り名された。
1887年には鉄道がエイバルに到達し、多くの路線がエイバルを通過した。
スペイン内戦 では、エイバルは『荒廃地域』(región devastada)であると宣言するほど、事実上市全体が破壊された。再建が主な産業の発達を促し、わずか数年で人口は4万人を超えた。
政治
エイバル市議会選挙結果
政党
2015[ 1]
2011[ 2]
2007[ 3]
得票率
議席
得票率
議席
得票率
議席
バスク社会党 (PSE-EE)
41.88 %
10
35.40 %
9
48.10 %
11
エウスカル・エリア・ビルドゥ (EH Bildu) / ビルドゥ
24.02 %
5
25.88 %
6
-
-
バスク民族主義党 (EAJ-PNV)
21.17 %
5
18.49 %
4
22.19 %
5
イラバシ
6.76 %
1
-
-
-
-
国民党 (PP)
4.13 %
0
7.83 %
2
8.30 %
1
アララール
-
-
4.49 %
0
-
-
バスク統一左翼 (EB-B)
-
-
4.04 %
0
-
-
アマイカバット (H1!)
-
-
2.11 %
0
-
-
バスク統一左翼 /アララール (EB-B/A)
-
-
-
-
10.61 %
2
バスク連帯 (EA)
-
-
-
-
9.24 %
2
首長
首長一覧(1979-)
任期
首長名
政党
1979–1983
Mikel Larrañaga Mandiola
PNV
1983–1987
Jesús María Agirre Arriola
PNV
1987–1991
Aurora Bascaran Martínez
PSE-PSOE
1991–1995
Aurora Bascaran Martínez(91-93) Iñaki Arriola
PSE-PSOE PSE-EE
1995–1999
Iñaki Arriola
PSE-EE
1999–2003
Iñaki Arriola
PSE-EE
2003–2007
Iñaki Arriola
PSE-EE
2007–2011
Iñaki Arriola
PSE-EE PSE-EE
2011–2015
Miguel de los Toyos Nazabal
PSE-EE
2015–2019
Miguel de los Toyos Nazabal
PSE-EE
2019–2023
n/d
n/d
2023–
n/d
n/d
人口
経済
農業は、家族経営で畜産が行われる。また林業も行われる。製造業は武器の他、自転車製造や縫製機械の製造がある。オルベア 、ランブレッタ のような工場がある。武器を装飾する目的で19世紀に導入された象嵌 が伝統的に職人の手で行われる。
交通
道路
ビルバオ からサン・セバスティアン を通ってスペイン=フランス国境に至るAP-8号線がエイバルを通っており、N-634号線がAP-8号線に並行している。AP-1号線がエイバルとビトリア=ガステイス を結んでいる。AP-8号線とAP-1号線はエイバルの東に位置するマルサガ・ジャンクションで接続している。
バス
主にギプスコア県内で運行されるルラルデバスの路線バスが、エイバルとデババレーナ の他地域、サン・セバスティアン 、ビトリア=ガステイス、ビルバオ空港 を結んでいる。主にビスカヤ県内で運行されるビスカイバス の路線バスが、エイバルとビルバオ、ビスカヤ県の他地域を結んでいる。エイバルではウダルバスと呼ばれる都市バスも運行されている。
鉄道
ビルバオ=アチュリ駅 とサン・セバスティアンのアマラ駅を結ぶバスク鉄道 の狭軌線がエイバルを通っている。エルムア からエイバルを通ってエルゴイバル までの区間はその両側に比べて列車本数が増える。
スポーツ
SDエイバルのホームスタジアムであるイプルーア
サッカー
サッカークラブのSDエイバル が所在する。SDエイバルは2013-14シーズンにセグンダ・ディビシオン (2部)で優勝し、クラブ初のプリメーラ・ディビシオン (1部)昇格を決めた。2014-15シーズンのプリメーラ・ディビシオンで、本拠地人口の点でエイバルはリーグ最小だった。SDエイバルは市営のエスタディオ・ムニシパル・デ・イプルーア をホームスタジアムとしている。
バスク・ペロタ
バスク・ペロタ のアステレーナ競技場が所在する。アステレーナ競技場は「ハンド・ペロタの大聖堂」という愛称を持ち、1904年に開場した。サン・セバスティアン のアターノ3世競技場、ビトリア=ガステイス のオグエタ競技場などとともに、バスク・ペロタの主要な競技場(フロントン)のひとつである。1946年の初開催以来、9度にわたってカンペオナート・マノマニスタ(全国リーグの素手部門1部リーグ)の決勝大会が開催された。また、1992年にはクアトロ・イ・メディオ・バスク選手権の決勝大会が開催された。
自転車ロードレース
1952年、エイバルにあるエイバレサ自転車クラブはビシクレタ・エイバレサを初めて主催した。このレースは1969年にバスク一周 と統合されたが、1991年からはエウスカル・ビシクレタ という名称で復活した[ 6] 。UCIワールドツアー に組み込まれているバスク一周(6ステージ)において、2009年以降、エイバルはステージのゴール地点に設定されており、通常はアルト・デ・アラテを登ってからエイバルを目指す。また、2008年以前はUCIヨーロッパツアー に組み込まれているエウスカル・ビシクレタの伝統的なゴール地点だった。1972年、1974年、2012年には、アラテの山登りがブエルタ・ア・エスパーニャ のルートに含まれた[ 7] 。
姉妹都市
出身人物
脚注
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
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