ダン・ティラン(オドントティラヌス)がマケドンニア兵を襲う図
オドントティラヌス (ラテン語 : odontotyrannus, dentityrannus [ 注 1] )またはオドントテュランノス は[ 注 2] 、アレクサンドロス大王 の一行がインド(インダス川 流域、現・パキスタン領内)で野営中に襲われたという巨大な三角獣。
「アレクサンドロスよりアリストテレスに宛てたインドに関する書簡」という文書[ 注 3] に記述があり、アレクサンドロス・ロマンス にも言及されている[ 2] 。オドントティラヌスは「歯の僭主 」を意味する。
概要
ラテン語で保存される「アレクサンドロスよりの書簡」によれば、頭は黒色の馬面で、額から三本の角を生やした、ゾウ を超えた巨大さの生物であった。火で脅しても怖じず、マケドニア 軍の26人を殺し[ 注 4] 、52人を戦闘不能にしたが、ついには狩猟用の槍で刺して仕留められた。インド現地人のあいだでは「歯の僭主」という名で呼ばれていた[ 注 5] 。
ラテン語のアレクサンドロス記として有名なものにユリウス・ウァレリウス (英語版 ) が著した『マケドニア王アレクサンドロスの事績』[ 注 6] (4世紀初頭)があるが、この出例では、オドントティラヌスの表記[ 注 7] が見られる。また、この怪物を仕留めた後、その屍体を川から引き上げるのに300人を要したとも付記されている[ 注 8] [ 5]
シリア訳 『偽カリステネス』では、怪物には違った名称マシュケラト またはマシュケレト が充てられるが[ 注 9] [ 8] [ 9] 、死傷者などの記述に差はない[ 10] 。アルメニア訳 『偽カリステネス』になると、同じ怪物の名は一角獣とされており、同じ引き揚げ労働に強いられた人数は1300人に増えている[ 12] [ 13] 。
エチオピア訳 では、ゾウに匹敵する大きさの怪物とされ、象牙かイノシシの牙のようなものを生やしていた。名称は記されていない。腹を裂くと、胃の内容物からサソリ や牛ほどの大きさの巨魚が発見された。パラディオス (英語版 ) 著『ブラフマン列伝』(5世紀)[ 注 10] や、ゲオルギオス・ハマルトロス (英語版 ) の編年誌(5世紀)によれば、オドントテュランノスは[ 注 11] 水陸両棲の食肉獣で、ゾウを丸呑みできたという。
古フランス語文学では、アレクサンドル・ド・ベルネー (英語版 ) [ 注 12] の『アレクサンドル物語』に「ティラン(tirant)」[ 9] 、 トマス・ド・ケント (英語版 ) の『全騎士道物語』に「ダン=ティラン(dent-tyrant)」として登場する[ 1] 。中英語 『キング・アリサンダー (英語版 ) 』では「ドゥティランス(deutyrauns)」である[ 9] [ 16] 。
実在動物の比定
これが自然界に実在するどの動物に該当するかの考察については、様々な意見がある。E・A・ウォーリス・バッジ 等は、ガンジス川 流域に生息するワニ 類だろうとし、怪物のシリア名は、ヒンドゥー神話のマカラ の転訛ではないかとした(マカラは、ワニ・ゾウなどの上半身と魚尾をもつ合成獣)。あるいはクテシアス の『インド誌』に記された長い一対の歯を持つ肉食の巨虫スコレックス (英語版 ) に由来するともいわれる。マカラ由来説や、スコレックスの影響説は、近年のグンダーソン等も支持している[ 13] 。他にもサイ 由来説があるが、まるっきり伝説上の生物の可能性も否定できない[ 19] 。
元のサンスクリット名
オドントティラヌスはあくまでギリシア語の意訳名であり、元来は「歯の僭主(タイラント)」を意味するインド名である。19世紀、クリスティアン・ラッセン は、元のサンスクリット 名を復元するならそれは「歯の主」を意味するダンテーシュヴァラ(*danteśvara)であろうと主張した[ 20] 。これは danta 「歯」とīśvara (イーシュヴァラ)「主」から成る複合語であるが、これは示される用例がない。ロジャー・グーセンスはこれを否定し、元の語は「歯の主」とも「爬虫類(など卵生の生き物)の主」とも二重の意味を兼ねるドヴィジャラージャ(dvijarāja)であると提唱した[ 22] [ 23] 。
脚注
注釈
^ 他 dentes tirannus, dentestyrannus。
^ ギリシア語 : όδοντοτύραννος 。
^ ラテン語原題は Epistola Alexandri ad Aristotelem 。
^ 異本では36人。
^ ラテン語では dentityrranus, odontatyrannus 等と記述される。「アレクサンドロスよりの書簡」の版本では dentityrranus とするものがあるが、幾つかの写本や、 Kübler 編本では odontatyrannus (オドンタ ティラヌス) と綴る[ 5] 。
^ ラテン語原題は Res gestae Alexandri Macedonis 。
^ odontotyrannusの綴り。
^ ラテン原文は".. vix trecentorum hominum manus nisu extractus de flumine"。
^ シリア語 (マクロランゲージ) : ܡܫܩܠܬ ; Mashḳělath, Mashklet。
^ 英訳題名は On the Life of the Brahmans 。3つの校本があるが、バチカン本の抄本であるバンベルク本を "Commonitorium Palladii de Bragmanis" とも称す(Stoneman 2012 , pp. xxv, 113n)。
^ όδοντοτύραννος
^ アレクサンドル・ド・パリとも称す。
出典
^ a b Cary, George (1956). The Medieval Alexander . University of Cambridge Press. pp. 35–36. https://books.google.co.jp/books?id=rCg9AAAAIAAJ&pg=PA35&redir_esc=y&hl=ja
^ Harf-Lancner, Laurence (2012), “From Alexander to Marco Polo, from Text to Image: The Marvels of India” , Medieval French Alexander (SUNY Press): p. 237, https://books.google.com/books?id=TUqQbemlo80C&pg=PA237
^ a b Gunderson, Lloyd L. (1980), Alexander's letter to Aristotle about India , Hain, p. 54, https://books.google.com/books?id=FqoGAQAAIAAJ
^ Budge 1896 , p. 150, n1
^ a b c Perkins, Justin; Woolsey, Theodore D. (1854), “Notice of a Life of Alexander the Great” , Journal of the American Oriental Society 4 : 379n, http://www.jstor.org/stable/592285
^ group"注"
^ Wolohojian, Albert M. (1969), The Romance of Alexander the Great by Pseudo-Callisthenes (from the Armenian) , Columbia University Press, p. 126–7
^ a b Pritchard, Roger Telfryn (1992), The History of Alexander's Battles: Historia de Preliis, the J1 Version , PIMS, p. 157, https://books.google.com/books?id=hYu_xwJ7S5oC&pg=PA157
^ Weber, Henry William, ed. (1810), Kyng Alisaunder , George Ramsay, v. 5416 (p. 223), https://books.google.com/books?id=NXY9AQAAMAAJ&pg=PA223
^ Dr Kees Rookmaaker. “Source Book of the Rhinoceros ”. Rhino Resource Center. 2015年9月13日 閲覧。
^ Indische Alterthumskunde . 3 . Leipzig: L. A. Kittler. (1858). p. 375. https://archive.org/stream/bub_gb_4mRpAFdkpvsC#page/n391/mode/2up
^ Seldeslachts, Erik (1998), “Translated Loans and Loan Translations as Evidence of Graeco-Indian Bilingualism in Antiquity” , L'antiquité classique: revue semestrielle 67 : 286, http://www.persee.fr/doc/antiq_0770-2817_1998_num_67_1_1320
^ Jalabert, Louis (1930), “Bulletin du Byzantinisme” , Recherches de science religieuse 20 : 468–469, https://books.google.com/books?id=ncQnAQAAIAAJ
参考文献
Budge, E. A. Wallis, ed (1889). The History of Alexander the Great, Being the Syriac Version . The University Press. pp. lxxiii, 98; n1. https://books.google.com/books?id=_14LmFqhc8QC&pg=PR73
Budge, E. A. Wallis, ed (1896). The Life and Exploits of Alexander the Great, being a series of translation of the Ethiopic histories . Clay. p. 149–150
Goossens, Roger (1929), “L'όδοντοτύραννος, animal de l'Inde”, Byzantion IV (1927–1928) : 29–52
Orchard, Andy (tr) , ed (2003). Letter of Alexander to Aristotle . University of Toronto Press. https://books.google.com/books?&id=hU8DdkwXbDEC&pg=PA239
Rypins, Stanley, ed (1924). Letter of Alxander the Great to Aristotle . Early English Text Society. Humphrey Milford, Oxford University Press. pp. 22, 88; n2, 86 n10. https://archive.org/stream/publicationsorig161earluoft#page/n9/mode/2up
Skeat, Walter William , ed (1886). The Wars of Alexander: An Alliterative Romance . Early English Text Society. N. Trübner. https://books.google.com/books?id=XE8JAAAAQAAJ&pg=PA309
Stoneman, Richard (tr), ed. (2012), The Legends of Alexander the Great , I.B.Tauris, ISBN 1848857853 , https://books.google.com/books?id=W8gMKhTO5ZAC