カッティノ・モブリー
カッティノ・ラシャーン・モブリー(Cuttino Rashawn Mobley, 1975年9月1日 - )はアメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。のバスケットボール選手。NBAのヒューストン・ロケッツ等に所属していた。ポジションはシューティングガード。ニックネームは「キャット」(Cat)。NFL選手のジョン・モブリーとは従兄弟同士である。 経歴ロードアイランド大学を卒業し、1998年のNBAドラフトで全体の41位指名をヒューストン・ロケッツから受けNBA入りした。1年目は出場49試合中37試合でポイントガードとして先発したが、ゲームコントロールはベテランのスコッティ・ピッペンが行い、外角シューターとしての役割が強かった。平均9.9得点、2.5アシストの成績でオールルーキー2NDチームに選ばれた。 1999-2000シーズンは、新人のスティーブ・フランシスやシャンドン・アンダーソンの加入があり、ベンチから出場する機会が多かったが、平均出場時間は30.8分に増え、得点は15.8点を記録した。その後は、フランシスと高い得点力を誇るバックコートを形成、チームを牽引した。2001-02シーズンは、2001年1月18日のゴールデンステート・ウォーリアーズとの対戦でキャリアハイとなる41得点を記録するなど[1]、自己最高の21.7得点を記録した。2001-2002シーズン、2002年1月24日のニュージャージー・ネッツ戦でもキャリアハイに並ぶ41得点を挙げた[1]。 2004年6月、トレーシー・マグレディらとの交換で、フランシスと共にオーランド・マジックに移籍する。2004-05シーズンはマジックで23試合に出場した後、シーズン途中となる2005年の1月に、ダグ・クリスティと交換でサクラメント・キングスへ移籍した[2]。キングスでも先発出場しチームに貢献した。 2005-06シーズン前にFAとなったモブリーは7月にロサンゼルス・クリッパーズと5年間の契約を結んだ[3]。クリッパーズ1年目は、得点源であったコーリー・マゲッティを怪我で欠いたシーズン途中の12月-2月に平均17.4得点を記録し、マゲッティ不在を感じさせない働きを見せた。チームは久しぶりにプレイオフに進出し、自身も初めて1回戦を突破した。その後もクリッパーズの主力として活躍した。結果的に現役最後の試合となった2008年11月19日、オクラホマシティ・サンダーとの対戦ではフィールドゴール11本を決め、23得点を記録しただけでなく、キャリアハイとなる7つのスティールを記録していた[1]。 突然の引退2008年11月21日、ザック・ランドルフらのトレードでティム・トーマスと共にニューヨーク・ニックスの移籍が決まった。しかし、移籍前に行われる身体検査で、モブリーが深刻な心臓病を患っていることが発見された。それでもニックスは、サラリーキャップの整理が第一の目的であったので、このトレードを行った。そして、12月8日に現役引退を発表した[4](ただし、サラリーキャップの関係で2010年4月までニックスのロスターに入っていた[5])。 引退後引退後は、3x3のバスケットボールでプレーしている。 個人成績NBAレギュラーシーズン
プレーオフ
脚注
外部リンク
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