ガズヴィーン
ガズヴィーン(ペルシア語: قزوین; Qazvīn [ɢæzˈviːn] ( 音声ファイル)、前近代ペルシア語ではカズウィーン)はイラン・ガズヴィーン州最大の都市で州都。人口は2005年の統計で331,409人[1]。 サファヴィー朝の首都であった時代もあった。サファヴィー朝成立時の首都タブリーズからの第二代シャーであるタフマースブ1世によるガズヴィーンへの遷都時期については諸説あり、参考となる資料も遷都してから30年以上経過してからの物がほとんどで研究者により様々な候補が挙げられている。1597年、第五代シャーであるアッバース1世の時代にガズヴィーンからイスファハーンへ遷都された[1]。 概要と歴史ガズヴィーンはイラン・ガズヴィーン州の都市でテヘランの北西約150kmに位置する。標高は海抜約1800m、気候は冷涼乾燥。アルボルズ山脈南麓の岩がちな地帯である。 ガズヴィーンの街はペルシア帝国の歴史上重要な街であり、2000以上の考古学遺跡・歴史的建築をもつ。歴史を通じて重要な文化的中心地であり、現在でも州都を占める。 考古学的調査によれば、ガズヴィーン盆地における都市農業定住地は少なくとも9000年前にさかのぼる。古くは「カスビーンکسبینとも綴る「ガズヴィーン」の名は、カスピ海南部にあった古代部族「カス」の名に由来し、カスピ海の名も同様にカスに由来するものである。ガズヴィーンは地理的にはテヘラン、エスファハーン、ペルシア湾方面からカスピ海沿岸およびアナトリアを結ぶ地にあり、いずれの時代にも交通上の要衝であった。東方見聞録ではマルコ・ポーロが中国への往復に使ったとされる。13世紀当時、モンゴルのイルハン朝が治めていた。 今日ガズヴィーンとして知られる街は250年、シャープール2世によって建設された「シャード・シャープール」であると考えられる。これは同地域での緊張にあたって支配強化を目的として建設された要塞である。 ガズヴィーンはイランの歴史において時に中心的重要な役割を果たした地である。644年、アラブの侵入によって陥落。1090年ころにはハサニ・サッバーフがイスマーイール派の分派ニザール派の中心地としてガズヴィーン近郊のアラムート城塞を定めた。都市は13世紀にチンギス・ハンによって破壊されたのち、1548年、サファヴィー朝は1598年にエスファハーンに遷都するまでガズヴィーンを都としている。両世界大戦期にはロシア軍に占領され、さらに1921年にはパフラヴィー朝の成立につながる有名なクーデタの発生地となった。 ガズヴィーンの建築ガズヴィーンには約9000年前にさかのぼる考古学的遺跡をはじめとする諸遺跡が所在し、近郊には23にのぼるニザール派の城址が残る。さらに都市中心部には同地域に複数残るサーサーン朝の遺跡の1つ、メイムーン・ガルエがある。しかし、首都となっていたサファヴィー朝期の建築はほとんど残っていない。この時期のものとしておそらく最も有名なものは都市中央にある「アリー・カプ邸宅」で、現在では博物館となっている。 イスラームの到来以降、タサウウフ(イスラーム神秘主義)、伝承(ハディース)学、法学(フィクフ)、哲学のガズヴィーンでの隆盛は、多くのモスク、マドラサを同地に残した。なかでも有名なのは以下のものである。
ガズヴィーンには19世紀末から20世紀初にかけてのロシア人の建築が3つ残っている。現在の市庁舎(以前はバレー劇場)、貯水施設、正教会である。教会にはロシア人が葬られている。 ピエトロ・デッラ・ヴァッレ(1588-1713)、ジャン・バティスト・タヴニエ(1605-1689)、ジャン・シャルダン(1643-1713)らの旅行家によれば、ガズヴィーンには長い間、さまざまな宗派のクリスチャンが数多く生活していたという。ガズヴィーンには聖フリプシメ教会があり、イエス・キリストの顕現を4人のユダヤ教預言者が伝えたのもこの地であると伝わる。その墓所は民間の信仰を集めて「ペイガムバリーイェ」と呼ばれている。 ガズヴィーン近郊の墓廟建築も観光地となっている。これはセルジューク朝の二人の王子、サアドの子アブー・サイード・ビージャールとタキーンの子アブー・マンスール・イルターイーの墓廟である。二つの塔にわかれており「ハラガーン双子塔」として知られている。1067年の創建で、非円錐二重のドームを用いた最初のイスラーム建築である。2003年3月の地震によって激しい損傷を受けた。
ガズヴィーン出身の有名人ガズヴィーンに生まれ、あるいは暮らし、あるいは葬られた学者、スーフィーは実に数多い。墓廟はガズヴィーン州内各所に点在している。ただしシーア派のフサインは立派なシャーザーデ・ホセイン廟があるがガズヴィーンとの関わりはない。
今日のガズヴィーンガズヴィーンは今日では綿織物、絹織物、ビロードなどの織物貿易の中心地で皮革も扱う。テヘランとタブリーズを結ぶ鉄道、高速道路の経由地ともなっている。またイラン最大の発電所の一つシャヒード・ラジャーイー発電所があり、イランの電力の7%を供給している。 高等教育機関ガズヴィーンには4つの高等教育機関がある。 関連項目脚注
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