グイドーニア・モンテチェーリオ
グイドーニア・モンテチェーリオ(伊: Guidonia Montecelio)は、イタリア共和国ラツィオ州ローマ県にある、人口約89,000人の基礎自治体(コムーネ)。 ローマの北東約23kmにある近郊都市で、ローマを除けば県下最大のコムーネ人口を有する。 イタリア空軍のグイドーニア飛行場 (it:Aeroporto di Guidonia) が所在する。 地理位置・広がりローマ県北東部のコムーネで、コムーネとしてのローマ市に隣接し、その大都市圏 (Rome metropolitan area) に含まれる。グイドーニアの市街は、ローマ中心部から北東へ約23kmの距離にあり、ローマ市を取り囲むグランデ・ラッコルド・アヌラーレ(環状高速道路)の外側約13kmに位置する[4]。ティヴォリからは北西へ約7km、リエーティからは南南西へ約47kmの距離にある[4]。 古代のノメンターナ街道とティブルティーナ街道の間に位置する。 隣接コムーネ隣接するコムーネは以下の通り。
地勢地勢はおおむね平坦である。 トラバーチン(石灰質化学沈殿岩、石灰華)によってつくられた段丘地形(石灰華段)で知られる。 気候分類・地震分類グイドーニア・モンテチェーリオにおけるイタリアの気候分類 (it) および度日は、zona D, 1561 GGである[5]。 また、イタリアの地震リスク階級 (it) では、zona 2B (sismicità media) に分類される[6]。 歴史998年、カストルム(要塞)Castrum Monticellorum として建設されたのがこの都市の起こりである。 1915年には、イタリア王立陸軍(Regio Esercito)が航空部隊(Corpo Aeronautico Militare)のための大きな軍用飛行場を建設した。1923年にはイタリア王立空軍(Regia Aeronautica)が発足する。 ベニート・ムソリーニ政権のもと、1937年にこの地域は自治体(コムーネ)となった。「グイドーニア」の名は、この地でパラシュートの試験中に殉職したアレサンドロ・グイドーニ将軍 (it:Alessandro Guidoni) (1880年 - 1928年)に因んでつけられた。 1942年6月には、第二次世界大戦中ながら、イタリア軍の大型輸送機の「サヴォイア・マルケッティ SM.75 GA RT」により、イタリアと日本、もしくは日本の占領地域との飛行を行った。 行政分離集落グイドーニア・モンテチェーリオには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。
経済・産業ローマ首都圏に位置するこの都市では、工業が大きな役割を果たしている。 とくに、トラバーチン(建材としても用いられる)の採掘やセメント工業が知られる。また、サービス業も発展している。住民の多くはローマに通勤している。 コッレヴェルデ・ディ・グイドーニア天文台コッレヴェルデ地区 (it:Colleverde) には、コッレヴェルデ・ディ・グイドーニア天文台 (Osservatorio Colleverde di Guidonia) がある。この観測拠点では、V. S. カスッリ (Vincenzo Silvano Casulli) らによって多くの小惑星が発見されている。「コッレヴェルデ」が発見者として登録されている小惑星もあり、2012年6月時点での小惑星センターの集計によれば3個ある[7]。命名されたものには (7529) ヴァニョッツィ (en) がある[8]。 交通道路
鉄道
姉妹都市脚注
外部リンク
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