ケビン・リトル (陸上選手)
ケビン・リトル(Kevin Little、1968年4月3日 ‐ )は、アメリカ合衆国・デモイン出身で短距離走が専門の元陸上競技選手。室内200mの自己ベストは20秒32の元北中米カリブ海記録保持者。1997年パリ世界室内選手権男子200mの金メダリストである。 200mがメインの白人スプリンター。世界選手権で2回、世界室内選手権では5回決勝に進出した実績を持ち、世界室内選手権では1つの金メダルを含む計4つのメダルを獲得した。アメリカの白人スプリンターとしては、1956年メルボルンオリンピックで3冠(100m、200m、4×100mリレー)を達成したボビー・モロー以来、41年ぶりに世界大会の金メダルに輝いた選手である。 経歴1989年3月、ブダペスト世界室内選手権の男子200m決勝で21秒12をマークし、ジョン・レジス(20秒54)とAde Mafe(20秒87)に次ぐ3位に入り銅メダルを獲得した[1]。 1993年3月、トロント世界室内選手権の男子200m決勝で20秒72をマークし、ジェームス・トラップ(20秒63)とダミアン・マーシュ(20秒71)に次ぐ3位に入った[2]。2位とは0秒01差で惜しくも銀メダルを逃したが、4年ぶりに出場した大会で前回に続き銅メダルを獲得した。 1995年8月、ヨーテボリ世界選手権の男子200m2次予選で20秒60(-0.1)の組5着に終わり、組4着とは0秒05差で準決勝進出を逃した[3]。 1997年3月、3度目の世界室内選手権出場となったパリ世界室内選手権の男子200mでは、予選を全体1位の20秒73で突破すると、準決勝ではアト・ボルドン(20秒41)に次ぐ20秒46の全体2位で決勝に進出した。迎えた決勝では20秒40のアメリカタイ記録および大会記録(ともに当時)を樹立し、イバン・ガルシア(20秒46)やフランシス・オビクウェル(21秒10)らを破り初優勝を成し遂げた[注 1][5]。世界大会(オリンピック、屋外と室内の世界選手権)におけるアメリカ白人スプリンターの金メダル獲得は、1956年メルボルンオリンピックで3冠(男子100m、200m、4×100mリレー)を達成したボビー・モロー以来だった[6]。 8月、アテネ世界選手権の男子200m2次予選を20秒38(+0.4)の組2着で突破し、屋外の世界選手権で初の準決勝進出を果たしたが、準決勝は20秒57(-0.5)の組6着で敗退した[7]。 1999年3月、前橋世界室内選手権の男子200m準決勝を20秒32の北中米カリブ記録(当時)で突破。決勝では20秒48とタイムを落とし、フランク・フレデリクス(20秒10)とオバデレ・トンプソン(20秒26)に次ぐ3位に終わり連覇は逃したもの、世界室内選手権4つ目のメダルとなる銅メダルを獲得した[8]。 8月、セビリア世界選手権の男子200m2次予選を20秒38(+0.2)の組3着で突破し、1995年ヨーテボリ大会に続いて準決勝に進出すると、準決勝では20秒10(+1.7)の自己ベストをマーク。準決勝を全体3位タイで突破し初の決勝に進出したが、迎えた決勝では20秒37(+1.2)とタイムを落とし6位に終わった[9]。 2001年3月、リスボン世界室内選手権の男子200m準決勝で20秒73マークし、全体1位のタイムで5度目の決勝進出を果たすも[10]、ハムストリングスを痛め決勝は棄権した[11]。 8月、エドモントン世界選手権の男子200m準決勝で自己ベストに迫る20秒13(+1.0)をマーク。2大会連続で決勝に進出したが、決勝は20秒25(+0.1)の7位に終わった[12]。 自己ベスト記録欄の( )内の数字は風速(m/s)で、+は追い風を意味する。
主要大会成績備考欄の記録は当時のもの
脚注注釈出典
外部リンク |