8歳のとき作詞・作曲を始めた。初めて作った曲は「Tus gafas oscuras」というタイトルで、その歌詞に含まれるメッセージは、自動車事故で息子を亡くしたことで悲嘆する父を巡って展開している。10歳のとき学校の合唱団に入団したが、声が「強すぎる」と指摘され、放逐された。友人らは、声が山羊のようだとからかったという[1]。その結果シャキーラは他で歌う機会を模索し始め、テレビで毎週放送されていた子供向けの歌謡コンテスト番組Vivan los niñosに出場した。
4枚目のアルバム"¿Dónde están los ladrones?"("'泥棒はどこ?")は、1998年にリリースされた。それは、エミリオ・エステファンのプロデュースで、伝えられるところによると300万米ドルの費用が掛かったという。そして、"Pies descalzos"よりも磨き上げられたサウンドであった。このアルバムはさらなる成功を収め、700万枚以上の売上を上げた。フランス、スイス、カナダ、そして特に米国などの非スペイン語圏でのファンを獲得し始めた。"¿Dónde están los ladrones?"の11曲の中から"Ciega, sordomuda"、 "Moscas en la casa"、"No creo"、"Inevitable"、"Tú"、"Si te vas"、"Octavo día"、そして世界中で有名な"Ojos así"を含む8曲がシングルとして売り出された。初めてのライブアルバム、"MTVアンプラグド"は"Estoy Aquí"と"¿Dónde están los ladrones?"により構成されている。
2000年の3月には、3ヶ月掛けてラテンアメリカと米国を巡る"Tour Anfibio"を開始した。2000年の8月、彼女はMTV Video Music Awardsにて、投票で選ばれる"Favorite International Artist"(現在は廃止)を受賞した。
2001年-2004年: 英語圏でのクロスオーバー
2001年、"¿Dónde están los ladrones?"の成功に続き、英語でのクロスオーバーアルバムに取りかかった。グロリア・エステファンと共同で"¿Dónde están los ladrones?"のトラックの英語版を書き、レコーディングした。また、アルバム「ランドリー・サービス (Laundry Service)」のために、新しい曲が作られた。英語圏市場での販売を意図して作られたが、ロックとスペインのダンスの影響を受けたこのアルバムは、"Que me quedes tú"("あなたが残る")を含んだスペイン語の歌も呼び物にされた。英語歌詞の"Laundry Service"が成功を収め、世界中で2000万枚以上を売り上げ、「ホウェネヴァー・ホウェアエヴァー (Whenever, Wherever)」の世界的大ヒット、「アンダーニース・ユア・クローズ (Underneath Your Clothes)」(カナダで1位)、"Te dejo Madrid"("マドリードを後にして")、「オブジェクション (タンゴ)」および「ザ・ワン」などのシングルをもたらした。このアルバムとシングルのおかげで、北米市場の主流にシャキーラの音楽的影響が確立したのである。
2002年にベストアルバムである"Grandes éxitos"をリリースした。また"Live & Off the Record"と呼ばれるDVDと10のトラックが収録されたアルバムも2004年に世界中で300万枚の売り上げに達した。これは、2002年から2003年にかけて行った世界ツアー、"Tour of the Mongoose"を記念して発売されたものである。
2002年9月に"Whenever, Wherever"のスペイン語版である"Suerte"でMTV Video Music Awardsの"International Viewer's Choice Award"(現在は廃止)を受賞した。そして、その年の10月には"MTV Video Music Awards Latin America"の5つの賞、すなわち最優秀女性アーティスト、最優秀ポップアーティスト、最優秀アーティスト(北部)、ビデオ・フォー・イヤー(「Suerte」によって)、アーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞した。また、同年のエアロスミスのMTV Iconにて「Dude (Looks Like A Lady)」を歌った。更にセリーヌ・ディオン、アナスタシア、シェール、ディクシー・チックスなどとも共演した。
リードシングルとしてカットされた"La tortura" (英語名: The Torture, featuring Alejandro Sanz) はスペインで1位を獲得。アメリカではBillboard Hot 100で23位、Latin Hot Tracksでは25週に渡って首位を独走した。この曲のように全編非英語詞の曲が、アメリカのポップチャートでヒットすることは珍しい(近年で他にTop40に入るほどの大ヒットとしてはやはり全編スペイン語によるダディー・ヤンキーが知られる程度である)。カナダでも"La Tortura"はヒットチャート内のスペイン語曲では初登場で1位にランクインし、最終的に全チャートで21位まで上昇。世界のその他地域におけるランキングはまちまちだが、最高で10位以内に入るか、といったところである。
2010年、FIFAワールドカップ・南アフリカ大会のテーマソング「Waka Waka (This Time for Africa)」を歌って、大会の開通公式イベント、Kick-Off Concertで雄大なパフォーマンスを披露した。
また、閉会式でも披露された。この曲に関してはYouTubeで再生回数31億2000万回超という記録を達成した(2022年4月30日現在)。また、同曲の全世界での売上は1500万枚を超えた[4]。
2010年10月、シャキーラは9枚目のスタジオアルバム『Sale el Sol』をリリース。リード・シングルの「Loca」は多くの国で1位を獲得した。また、シングルとして「Sale el Sol」、「Rabiosa」、「Antes de las Seis」、「Addicted to You」をリリースし、アルバムのプロモーションを行った。アルバムは6週間で全世界で100万枚以上売れ[5]、発売以来400万枚以上を売り上げた[6]。
また、このアルバムは批評家からも絶賛され、2011年のラテン・グラミー賞授賞式で、『Sale el Sol』は「年間最優秀アルバム」と「最優秀女性ポップ・ヴォーカル・アルバム」にノミネートされ、後者の部門を受賞した[7]。
2014年7月13日、シャキーラはマラカナンスタジアムで行われた2014 FIFAワールドカップ閉会式で、ブラジルのミュージシャン、カルリーニョス・ブラウンと共に「La La La (Brazil 2014)」を披露した[8]。このパフォーマンスによって、彼女は3大会連続でFIFAワールドカップに出演したこととなり、ミュージカル・アクトとしては初の快挙となった[9][10]。
2023年1月11日、シャキーラはアルゼンチンのDJビザラップとのコラボレーションしたシングル「Shakira: Bzrp Music Sessions, Vol.53」をリリースした[15]。このシングルは16カ国で1位を獲得し、SpotifyとYouTubeで記録的な成功を収めた[16][17]。