ジェリー・スタッブス
ジェリー・スタッブス(Jerry Stubbs、1952年9月13日[4] - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。ジョージア州アトランタ出身[2]。 ルイジアナやミシシッピなどのミッドサウス・エリアやアラバマを主戦場に、覆面レスラーのミスター・オリンピア(Mr. Olympia)としても活躍した。 来歴ボブ・アームストロングにスカウトされ、1975年にアラバマでデビューしたとされる[2]。本名のジェリー・スタッブス(Jerry Stubbs)をリングネームに、ベビーフェイスのポジションでジョージアやミッドアトランティック、ミッドサウスのトライステート地区など、NWAの南部テリトリーを転戦。1978年11月6日にはトライステート地区におけるトーナメントの決勝でアーニー・ラッドを破り、8年ぶりに復活したNWAミシシッピ・ヘビー級王座を獲得、1979年5月5日にマイク・ジョージに奪取されるまで戴冠していた[5]。 1980年、ロン・フラーが主宰していたアラバマのSECW(サウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング)にて覆面レスラーのザ・マタドール(The Matador)に変身、マイク・スターリングスをパートナーにデビッド・シュルツ&デニス・コンドリーからNWAサウスイースタン・タッグ王座を奪取した[6]。その後は素顔に戻り、1981年1月26日にはレス・ソントンを破ってNWA世界ジュニアヘビー級王者となっている[7]。同年はノーベル・オースチン、ブラッド・アームストロング、スタン・レーンらを下して、SECW認定のNWA USジュニアヘビー級王座も再三獲得した[8]。 1981年下期からは再び覆面を被り、その肉体美を活かしたキャラクターのミスター・オリンピア(Mr. Olympia)に再変身。6月30日にはミスター・サイトーからNWAサウスイースタン・ヘビー級王座を奪取、11月3日にモンゴリアン・ストンパーに明け渡すまで保持した[9]。1982年1月より、トライステート地区の後継団体であるビル・ワット主宰のMSWAに登場[10]。デビュー早々の同月20日にボブ・オートン・ジュニアを破ってミシシッピ・ヘビー級王座を獲得[5]、5月5日にはジャンクヤード・ドッグと組んでワイルド・サモアンズからミッドサウス・タッグ王座を奪取[11]。9月26日にもキラー・カーンを下してミシシッピ王座に返り咲くなどの活躍を果たす[5][12]。古巣のSECWでも1983年3月14日と翌15日、リック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に連続挑戦[13]。久々に現れたベビーフェイスの覆面レスラーとして注目を集めたが、同年4月よりMSWAにおいてヒールに転向[12]。以後、タッグパートナーだったジャンクヤード・ドッグとの遺恨戦や、ミスター・レスリング2号とのマスクマン抗争を展開した[14]。 1983年8月からはベビーフェイスに戻ってSECWに復帰し、8月22日にリック・ハリスを破ってNWAアラバマ・ヘビー級王者となるが、戴冠中にスーパー・オリンピア(正体はアーン・アンダーソン)との覆面剥ぎマッチに敗れ、再び素顔のジェリー・スタッブスとして活動[15]。再度のヒールターンも行い、ミスター・パーフェクト(Mr. Perfect)を自称するエゴイスト系ヒールとなって活動[1]。旧敵アンダーソンとも共闘して、1984年1月15日にはトーナメントの決勝でジャック・ルージョー&ジミー・ゴールデンを破り、空位となっていたNWAサウスイースタン・タッグ王座を獲得した[6]。以降もアラバマ地区に定着して、SECWから改称したCCW(コンチネンタル・チャンピオンシップ・レスリング)およびCWF(コンチネンタル・レスリング・フェデレーション)にも参戦、1986年5月12日にはロバート・フラーからNWAコンチネンタル・ヘビー級王座を奪取している[16]。 1986年10月、ミスター・オリンピアとして全日本プロレスの『ジャイアント・シリーズ』に初来日[12][17]。10月16日の下関大会では、当時ヒロ斎藤が保持していた世界ジュニアヘビー級王座への挑戦権をかけて小林邦昭と対戦した[18]。全日本プロレスには翌1987年1月の『新春ジャイアント・シリーズ』にも、ア・シーク(A Sheik)なるアラブ人ギミックのヒールに変身して再来日し、タイガー・ジェット・シンのパートナーを務めている[2][19]。同シリーズには後にWWFで「ミスター・パーフェクト」を名乗るカート・ヘニングも参戦していたが、元祖ミスター・パーフェクトであるスタッブスは、ジャックダニエルのボトルと引き替えに、このニックネームをヘニングが使用することを了承したという[1]。 主戦場のアラバマではダーティ・ホワイト・ボーイことトニー・アンソニーを新パートナーに、1986年11月から1988年12月にかけて、NWAコンチネンタル・タッグ王座および後継タイトルのCWFタッグ王座を再三獲得[20]。王座を巡りボブ&ブラッドのアームストロング親子とも抗争したが、1989年のCWFの活動停止に伴い、自身も現役を引退した。 リタイア後は南部のインディー団体に時折出場し、1996年5月10日にはジョージア州のNGWAにミスター・オリンピアとして登場、マスクド・スーパースターとの覆面レスラー同士のレジェンド対決が行われた[21]。2010年11月19日には、かつての主戦場アラバマ州バーミングハムの "Wrestle Birmingham" で行われたボブ・アームストロング対ジミー・ゴールデン戦の特別レフェリーを務めた[20]。 得意技獲得タイトル
脚注
外部リンク
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