ジャック・プレヴェール (Jacques Prévert、1900年 2月4日 - 1977年 4月11日 )は、フランス の民衆詩人 、映画作家、童話作家 。シャンソン 『枯葉 』の詞や、詩的リアリズム の映画『天井桟敷の人々 』のシナリオ を書いた。
生涯
パリ の西隣ヌイイ=シュル=セーヌ に生まれた。父はブルターニュ 系のアンドレ、母はオーヴェルニュ 系のシュザンヌであった。15歳から、パリの商店や百貨店で働いた。
1920年(20歳)、徴兵先のリュネヴィル で、のちの画家イヴ・タンギー を知り、さらに翌年、駐留先のコンスタンティノープル で、後の編集者マルセル・デュアメル (フランス語版 ) を知った。1922年、パリに戻り、映写技師の弟ピエールが勤める映画館に、3人で入り浸った。1924年から3人はモンパルナス で共同生活を始め、1925年からそこへ、アンドレ・ブルトン 、ルイ・アラゴン 、フィリップ・スーポー 、ロベール・デスノス 、ミシェル・レリス 、レーモン・クノー ら、シュルレアリスト が出入りして、一ときプレヴェールも同調したが、1928年、疎隔して絶縁し、タンギーやデュアメルらと映画制作に打ち込み、かたわら、詩を雑誌に載せ始めた。
1932年(32歳)、ポール・グリモー 、クロード・オータン=ララ 、ジャン=ルイ・バロー らのアジプロ劇団『10月グループ』(Groupe Octobre )に、脚本『新聞ばんざい』(Vive la Presse)、『フォントノワの戦い』(La Bataille de Fontenoy )を書き、後者はソビエト連邦 モスクワ の左翼 演劇コンクールの一等賞を取った。
『10月グループ』が解散した1936年から1945年にわたって、約20の映画のシナリオ、台詞を書き、マルセル・カルネ 、ジャン・ルノワール 、ジャン・グレミヨン らの監督、ジャン・ギャバン 、アルレティ、ミシェル・モルガン らの俳優と仕事をした。
撮影所仲間の作曲家ジョゼフ・コズマ が、1935年の『美しい星へ』(À la belle étoile )以降、プレヴェールの詩によるシャンソンを50曲も作り、イヴ・モンタン 、エディット・ピアフ 、ジュリエット・グレコ 、マルセル・ムールジ(Marcel Mouloudji )らが歌った。
1940年からのナチスによる被占領期 は、南仏 に疎開した。
1944年 映画『天井桟敷の人々』の脚本。
1946年(43歳)、奨められて最初の単行本『パロール』(Paroles )を出版した。書き溜めた自由詩・散文詩・メモなどの寄せ集めであったが、待たれていて売れ、のちのちまで数百版を重ねたと言われる。同じ年、妻ジャニーヌとの間に一女を得て、童話を書くようになり、写真家のイーラ(Ylla )、画家のエルザ・アンリケ(Elsa Henriquez)、アンドレ・フランソワ(André François )、ジャックリーヌ・デュエーム(Jacqueline Duhême )らと、子供の本を作った。
1948年、転落事故を起こしたが、その後も詩集や童話を出版した。生涯にわたり彼の詩は、分かり易い言葉で綴られた。そしてさらに、画家のパブロ・ピカソ 、マルク・シャガール 、マックス・エルンスト 、ジョルジュ・ブラック 、ジョアン・ミロ 、写真家のイジス らと美術書を編んだ。
女優アヌーク・エーメ のデビュー作 (La Maison sous la mer 1947) 及び2作目 (La Fleur de l'âge 1947, 未公開作) に脚本で関わっていたが、1作目の役名"アヌーク"を彼女が芸名に用い、さらにプレヴェールが"エーメ"を付け加えることを提案した[ 1] 。
1977年(77歳)、マンシュ県 オモンヴィーユ=ラ=プチット(Omonville-la-Petite )の家で、肺ガンのために死去した。
没後に、二篇の詩集が出版された。
主な作品
文学書
1945年:『ことばたち』(Paroles ) - 詩・スローガン・メモ・回想など
1946年:『物語』(Histoires ) - 詩集
1951年:『スペクタクル』(Spectacle ) - 詩集
1955年:『雨と晴天』(La Pluie et le beau temps ) - 詩集
1965年:『がらくた集』(Fatras ) - 詩集
1973年:『物そのほか』(Choses et autres )- 詩集
1980年:『夜の太陽』(Soleil de nuit ) - 詩集(没後)
1984年:『第5の季節』(La Cinquième Saison ) - 詩集(没後)
1992年 & 2004年:『全集』(Œuvres complètes )(プレイヤード叢書 )
児童文学
1947年:『おりこうでない子どもたちのための8つのおはなし』(Contes pour enfants pas sages )
1947年:『小さなライオン』(Le Petit Lion )、(イーラの写真)
1950年:『動物たち』(Des bêtes )、(イーラの写真)
1952年:『バラダー島からの手紙』(Lettre des îles Baladar )、(アンドレ・フランソワの画)
1952年:『指芝居』(Guignol )、(エルザ・アンリケの画)
1953年:『月のオペラ』(L'Opéra de la lune )、(ジャックリーヌ・デュエームの画)
美術書
1951年:『春の大舞踏会』(Grand Bal du printemps )、(イジス(Izis )の写真)
1952年:『ロンドンの魅力』(Charmes de Londres )、(イジスの写真)
1962年:『昼間』(Diurnes )、(ピカソの画、アンドレ・ヴィラール(André Villers)の写真)
1961年:『パリの色彩』(Couleur de Paris )、(ピーター・コルネリウス(Peter Cornelius)の写真)
1965年:『イジスのサーカス』(Le Cirque d'Izis )、(マルク・シャガール の画、イジスの写真)
1964年:『犬等は渇く』(Les Chiens ont soif )、(マックス・エルンスト のエッチング )
1968年:『ヴァランジュヴィユ』(Varengeville )、(ジョルジュ・ブラック の画)
1971年:『祭』(Fêtes )、(アレクサンダー・カルダー の版画)
1973年:『エッチング』(Eaux-fortes )、(マルセル・ジャン(Marcel Jean)の版画)
1975年:『アドーニス 』(Adonides )、(ジョアン・ミロ のエッチング と水彩画)
映画
脚本家として活躍したが、なかでも台詞が素晴らしかった[ 2] 。
映画の仕事は、外部リンク の"Internet Movie Database"に詳しい。
シャンソン
プレヴェールの詩にジョゼフ・コズマ が曲を付けたシャンソンには、枯葉 、バルバラのほか、次などがある。
美しい星へ(A la belle étoile)/二匹の蝸牛葬式に出かける(Deux escargots s'en vont à l'enterrement.....)/ 鯨釣り(La pêche à la baleine)/朝の食事(Déjeuner du matin)/庭(Le jardin)/夜のパリ(Paris at night)/愛し合う子どもたち(Les enfants qui s'aiment)/魔性 驚異(Démons et merveilles)/看守の歌(Chanson du Geôlier)/書取り(Page d'écriture)/子どものための歌、冬(Chanson pour les enfants l'hiver)/校門を出たら(En sortant de l'école)/外国の祭(Fête foraine)/血だらけの唄(Chanson dans le sang)/目録(Inventaire)/鳥の絵を描くために(Pour faire le portrait d'un oiseau)/五月の歌(Chanson Du Mois De Mai)/昼も夜も(Le Jour Et La Nuit)/パテル・ノステル(Pater Noster)/歌(Chanson)/手回しオルガン(L'orgue de barbarie)/劣等生(Le cancre)/祭(La fête)/演奏会は失敗だった(Le concert n'a pas été réussi)/はがねの娘(Fille d'acier)/いい朝(Un beau matin)/寓話(Fable)/心配の鳥(Les oiseaux du souci)/鳥刺しの唄(Chanson de l'oiseleur)/そして祭は続く(Et la fête continue)Presque(殆ど)/絶望がベンチに座っている(Le désespoir est assis sur un banc)/Cet amour(この愛)/割れた鏡(Le miroir brisé)/ひまわり(Tournesol)/Les bruits de la nuit(夜の音)/主顕節(Epiphanie)/大きな赤い(Immense et rouge)/ノックしている(On frappe)/子供狩り(Chasse à l'enfant)/美しい季節(La belle saison)/私はわたしよ(Je suis comme je suis)/庭(Le jardin)
邦訳
嶋岡晨 訳編『プレヴェール詩集』飯塚書店(世界現代詩集12)1967年
大岡信 訳『プレヴェール詩集』新潮社(世界詩人全集18)1968年
平田文也 訳『プレヴェール詩集』弥生書房(世界の詩シリーズ)1972年
サンリオ出版部訳 司修 絵『小鳥のはこんできた手紙』サンリオ 、1976年
麻周堯 訳『のんぶらり島』牧神社、1976年(アンドレ・フランソワ & エルサ・アンリケ画)
嶋岡晨訳『愛の詩集』飯塚書店、1977年
小笠原豊樹 訳『金色の老人と喪服の時計』大和書房 、1977年
大岡信訳『プレヴェール詩集 - やさしい鳥-』偕成社 、1977年
粟津則雄 訳『想像力の散歩―叢書創造の小径』新潮社 、1977年
山城隆一訳『猫の詩集』新書館 、1978年
内藤濯 訳『つきのオペラ』至光社、1980年(ジャクリーヌ・デュエーム画)
宗左近 訳『おかしなおかしなクリスマス』文化出版局 、1981年(エリザ・アンリケ画)
山田宏一 訳『天井桟敷の人々』新書館、1982年
小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』マガジンハウス 、1991年
高畑勲 訳・注解『ことばたち』ぴあ 、2004年」
中込純次 訳『ジャック・プレヴェール詩集 - Fatras 』青樹社(世界詩人叢書)1998年
布施佳宏訳『おりこうでない子どもたちのための8つのおはなし』二瓶社、2004年(エリザ・アンリケ画)
高畑勲 編訳 奈良美智 画『鳥への挨拶』ぴあ、2006年
柏倉康夫 訳『歌の塔』未知谷 、2013年
日本で公開された映画
日本で公開された下記の映画は、プレヴェールの脚本或いは台詞によっている。以下で、前の数字は初公開の、後の数字は日本公開の、西暦年次である。
1936、1939:ジェニイの家(Jenny )、マルセル・カルネ 監督
1938、1949:霧の波止場(Le quai des brumes )、マルセル・カルネ監督
1942、1948:悪魔が夜来る(Les visiteurs du soir )、マルセル・カルネ監督
1943、1948:高原の情熱(Lumière d'été )、ジャン・グレミヨン 監督
1945、1952:天井桟敷の人々(Les Enfants du paradis )、マルセル・カルネ監督
1949、1950:火の接吻(Les amants de Vérone )、アンドレ・カイヤット監督
1952、1955:やぶにらみの暴君 (La bergère et le ramoneur )、ポール・グリモー 監督
1956、1957:ノートルダムのせむし男(Notre Dame de Paris )、ジャン・ドラノワ監督
1961、1962:素晴らしき恋人たち(Amours célèbres )、ミシェル・ボワロン監督
1980、2006:王と鳥 (Le Roi et l'oiseau )、ポール・グリモー監督
評伝
柏倉康夫『思い出しておくれ、幸せだった日々を 評伝ジャック・プレヴェール』左右社 、2011年
脚注
出典
いろいろなウェブ情報[要文献特定詳細情報 ] のほか、
関連事項
外部リンク
フランス語版ウィキクォートに本記事に関連した引用句集があります。
芸術家 作家・理論家 グループ 関連項目
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