ジャン・ウィルキンス
ジャン・ウィルキンス(Jan Wilkens、1931年7月2日 - )は、南アフリカ共和国の元プロレスラー[1]。ハウテン州ヨハネスブルグ出身[2]。 1970年代の南アフリカのマット界を代表するレスラーであり[4]、アメリカや日本から選手を招聘するなどプロモーターとしても活動した。 来歴プレトリア大学ではレスリングのキャプテンとして鳴らし、1952年にケープタウンにてデビューしたとされる[1](デビュー年は1955年ともされる[3])。 その後ヨーロッパに渡り、スペイン、イタリア、フランスを経てイギリスのマット界に進出[5]。ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでは、1965年から1966年にかけて、ゴードン・ネルソンやポール・バションなど北米の選手とも対戦した[2]。 1969年6月、当時ヨーロッパを外国人選手の招聘ルートとしていた国際プロレスにエース格として初来日[5]。欧州出身のウィリアム・ホールやアメリカ人レスラーのチーフ・ダニー・リトルベアをパートナーに、当時サンダー杉山&ラッシャー木村が保持していたTWWA世界タッグ王座に挑戦した[6]。 1973年3月には、NETのテレビ中継がようやく決定した黎明期の新日本プロレスに来日。新日本プロレス版『ワールドプロレスリング』初放送の試合において、マヌエル・ソトと組んでアントニオ猪木&柴田勝久とタッグマッチで対戦した。この来日時も外国人エースを務め、大阪では猪木とのシングルマッチも行われている[7]。 本国の南アフリカでは、1973年8月2日にケープタウンにて、オーストリアのオットー・ワンツとCWA世界ヘビー級王座の初代王者決定戦を争った[8]。この試合には敗退したものの、翌1974年には故郷のヨハネスブルグにてEWU(ヨーロピアン・レスリング・ユニオン)の世界スーパーヘビー級王者に認定され[9]、さらにサウス・アフリカン・ヘビー級王座も獲得[10]。以降は南アフリカのマット界のエースとなって活躍し、ドン・レオ・ジョナサン、坂口征二、スパイロス・アリオン、オックス・ベーカー、タイガー・ジェット・シン、セーラー・ホワイトら世界の強豪を退けた(1975年にジョナサン、1976年10月に坂口にEWU王座を奪われるも、いずれも短期間で奪還している[9])[4]。 1980年代に入っても、1981年10月にブラックジャック・マリガン、1984年2月にはビッグ・ジョン・スタッドなど、スーパーヘビー級の大物選手を相手にEWU王座戦を行ったが、1984年11月に一時引退してタイトルを返上[9]。その後は単発的にリングに復帰し、1986年はイゴール・ボルコフやケビン・ワコーズと対戦。1987年にケープタウンにて引退興行が行われた。 得意技
獲得タイトル
脚注
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