グリジはグリュックスブルク家と親戚関係にあり、夫となったのはサルデーニャ王国の侯爵、貴族の首長(カヴァリエーレ Cavaliere)であったジョヴァンニ・マッテオ・マリオ[注 1]である。彼女は現在、夫とともに晩年を過ごしたパリのペール・ラシェーズ墓地に眠っており、その墓石にはジュリア・デ・カンディア(Giulia de Candia)と刻まれている[1][2]。
グリジは1836年にジェラール・ド・メルシィ伯爵(Gérard de Melcy)と結婚したが、彼は当初彼女の離婚の希望を認めなかった。しかし数年の後に別れてマリオと一緒になり、2人は6女を儲けた。マリオと暮らしながら、グリジはパリとロンドンに居を構えた。しかし結婚後はイタリアに帰国し、マリオが1849年購入したフィレンツェのヴィラ・サルヴィアティ(Villa Salviati)の土地に移った。そこではオペラ会からはもちろん、遠い親戚にあたるギリシア、ロシアの王族やイタリア、イギリスの貴族などの上流階級からの名だたる客人を迎え、そうした刺激的に過ごした日々についてグリジは日記に綴って書きとめた[1]。
^ abcdeEncyclopædia Britannica (Eleventh ed.) (1911) Hugh Chisholm,ed., Cambridge University Press.
^But the Encyclopaedia and the Grove's Dictionary contain some errors about the tenor Mario. See also: Louis Engel From Mozart to Mario, London, Richard Bentley and Son, 1886, pp. 332 and 336-337; Thomas Willaert Beale The Light of Other Days, London, Richard Bentley and Son 1890; Cecilia Pearse De Candia and Frank Hird The Romance of a Great Singer. A Memoir of Mario, London, Smith and Elder & Co., 1910; Francesco Floris e Sergio Serra Storia della nobiltà in Sardegna, Cagliari, Ed, della Torre 1986.