ジョナサン・アルバラデホ・サンタナ(Jonathan Albaladejo Santana , 1982年10月30日 ‐ )は、プエルトリコのサンフアン出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
プロ入り前
2000年のドラフトでサンフランシスコ・ジャイアンツから34巡目(全体1021位)で指名されるが契約せず。
パイレーツ傘下時代
2001年、MLBドラフト19巡目(全体564位)でピッツバーグ・パイレーツから指名され、6月6日に契約を結んだ。その後パイレーツのマイナー組織では先発を務めていた。
2005年にリリーフに転向した。
2007年4月25日にフリーエージェント(FA)となった。
ナショナルズ時代
2007年5月3日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ。同年はほとんどをAA級ハリスバーグで過ごし21試合に登板して防御率4.17という成績だった。その後、AAA級に昇格すると14試合に登板して防御率0.78という成績を残し、9月のロースター拡大に伴ってメジャー初昇格を果たした。9月4日の対フロリダ・マーリンズ戦の3回表に先発のティム・レディングが打球によって負傷したために、急遽登板しこれがメジャーデビューとなった。一死で2走者を抱えた場面で登板し、打者2人をゴロ(この間に1失点)とポップフライに打ち取り、続く4回も打者1人を三振にしとめたところで降板した[1]。
ヤンキース時代
2007年12月4日にタイラー・クリッパードとのトレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍した[2]。オフシーズンはベネズエラのウィンターリーグでプレー。
2008年はヤンキースの開幕ロースターに入ったものの、右肘痛の為に5月9日以降は登板できず、この年はわずか9試合の登板に終わった。
2009年も開幕ロースターに入り、32試合に登板。AAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースでは主にクローザーとして27試合に登板。防御率1.75、WHIP0.75、11セーブを挙げる。
2010年はAAA級スクラントン・ウィルクスバリでは前年に引き続きクローザーとして57試合に登板。防御率1.42、WHIP0.88、43セーブの活躍でプレーオフ進出に貢献した。しかし、メジャーでは10試合の登板に終わった。シーズン終了後、日本でプレーすることを希望し、これを受け入れたヤンキースは11月19日に契約を解除した[3]。
巨人時代
2010年11月26日に読売ジャイアンツと契約を結んだことが発表された。背番号は監督の原辰徳の意向により、トム・シーバーがメッツ時代につけていた41番に決まった[4]。翌春のキャンプでは抑えの候補として期待されたが、制球に不安があることを露呈した[5]。
2011年は抑えの役割は山口鉄也が担ったものの開幕一軍入りを果たし、4月16日の広島東洋カープ戦で2点を追う場面で3番手として初登板。2回を無失点に抑えた。4月30日の横浜ベイスターズ戦では2番手として5回から登板し、2回を無失点に抑え来日初勝利を挙げた[6]。
また5月15日の広島戦では1点勝ち越しの場面で抑えのレビ・ロメロが前日救援に失敗しており連投していたため4番手として9回に登板。1回を3人で抑え、来日初セーブを挙げた。最終的に46試合の登板で2勝2敗2セーブ、防御率2.45、WHIP1.21の成績を残した。12月2日に自由契約公示された[7]。
ダイヤモンドバックス時代
2011年12月13日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ。
2012年4月23日にメジャー昇格したが、その後は再降格と再昇格を繰り返し、メジャーでは3試合の登板に終わった。AAA級リノでは49試合に登板し、5勝3敗25セーブ、防御率3.65、WHIP1.22の成績を残した。また、この年のパシフィックコーストリーグのオールスターゲームに選出された[8]。オフの11月3日にFAとなった[9]。
マーリンズ傘下時代
2012年12月16日にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ[9]。
2013年はAAA級ニューオーリンズ・ゼファーズで57試合に登板し、4勝5敗4セーブ、防御率3.80、WHIP1.45の成績を残したが、メジャーでは登板できなかった。オフの11月5日にFAとなった[9]。
マーリンズ退団後
2014年2月13日に韓国の独立球団・高陽ワンダーズと契約を結んだ。オフにチームが解散したため、FAとなった。
2015年はメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズでプレー。
2016年4月1日にレイノサ・ブロンコスと契約したが、4試合の登板で2失点を喫し、9日に自由契約となった[9]。19日に独立リーグ・アトランティックリーグのブリッジポート・ブルーフィッシュと契約した。
2017年7月26日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結び、傘下のAAA級ラスベガス・フィフティワンズに配属された[9]。
2018年2月28日にアトランティックリーグのランカスター・バーンストーマーズと契約。2019年限りで退団し現役を引退した。
現役引退後
2020年よりメキシカンリーグのティフアナ・ブルズの投手コーチ(ブルペン担当)に就任したが[10]、新型コロナウイルスの感染拡大の影響でリーグは開催中止となった。
2020年8月に独立リーグであるエンパイアリーグ(英語版)のタッパーレイク・リバービッグスの監督に就任した[11]。
2022年からはフロンティアリーグのエンパイアステート・グレイズ(英語版)、2024年からは同リーグのレイクエリー・クラッシャーズ(英語版)で投手コーチを務める[12]。
選手としての特徴
平均球速91mph(約146km/h)で最速96mph(約154km/h)を誇る3種類の速球(フォーシーム、ツーシーム、カッター)とカーブ、スライダーを投げ分ける[13]。スクラントンでは通算与四球率2.12と安定していたが、メジャーに昇格すると急激に四球が増える傾向にあった。マイナーではランナーがいない場面での被打率は3割を越えるものの、塁にランナーを置くと力を発揮し、特に得点圏での被打率は.158と抜群の強さを発揮していた。
体重は読売ジャイアンツの公式発表では「117kg」とされているが、実際には120kgを大きく超えている。本人曰くベスト体重は「122~124kg程度」だが、シーズンオフになると136kg程度まで太るため、シーズン前に減量が欠かせない[14]。
詳細情報
年度別投手成績
年
度 |
球
団 |
登
板 |
先
発 |
完
投 |
完
封 |
無 四 球 |
勝
利 |
敗
戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝
率 |
打
者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬
遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴
投 |
ボ 丨 ク |
失
点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P
|
2007
|
WSH
|
14 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
1 |
0 |
2 |
.500 |
51 |
14.1 |
7 |
1 |
2 |
0 |
1 |
12 |
0 |
0 |
3 |
3 |
1.88 |
0.63
|
2008
|
NYY
|
7 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
1 |
.000 |
58 |
13.2 |
15 |
1 |
6 |
0 |
0 |
13 |
0 |
0 |
6 |
6 |
3.95 |
1.54
|
2009
|
32 |
0 |
0 |
0 |
0 |
5 |
1 |
0 |
1 |
.833 |
158 |
34.1 |
41 |
6 |
16 |
2 |
3 |
21 |
0 |
0 |
23 |
20 |
5.24 |
1.66
|
2010
|
10 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
---- |
50 |
11.1 |
9 |
1 |
8 |
1 |
2 |
8 |
0 |
0 |
5 |
5 |
3.97 |
1.50
|
2011
|
巨人
|
46 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
2 |
2 |
6 |
.500 |
219 |
51.1 |
43 |
2 |
19 |
4 |
5 |
44 |
0 |
0 |
17 |
14 |
2.45 |
1.21
|
2012
|
ARI
|
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
---- |
15 |
3.0 |
5 |
1 |
0 |
0 |
1 |
2 |
0 |
1 |
3 |
3 |
9.00 |
1.67
|
MLB:5年
|
66 |
0 |
0 |
0 |
0 |
6 |
3 |
0 |
4 |
.667 |
332 |
76.2 |
77 |
10 |
32 |
3 |
7 |
56 |
0 |
1 |
41 |
37 |
4.34 |
1.42
|
NPB:1年
|
46 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
2 |
2 |
6 |
.500 |
219 |
51.1 |
43 |
2 |
19 |
4 |
5 |
44 |
0 |
0 |
17 |
14 |
2.45 |
1.21
|
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
投手(P)
|
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率
|
2007
|
WSH
|
14 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1.000
|
2008
|
NYY
|
7 |
0 |
0 |
0 |
0 |
----
|
2009
|
32 |
1 |
7 |
0 |
0 |
1.000
|
2010
|
10 |
0 |
2 |
0 |
0 |
1.000
|
2011
|
読売
|
46 |
5 |
6 |
2 |
0 |
.846
|
2012
|
ARI
|
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
----
|
MLB
|
66 |
1 |
10 |
0 |
0 |
1.000
|
NPB
|
46 |
5 |
6 |
2 |
0 |
.846
|
記録
- NPB
背番号
- 53 (2007年)
- 63 (2008年 - 2010年)
- 41 (2011年)
- 53 (2012年)
- 43 (2014年)
脚注
関連項目
外部リンク