ジョレス・アレクサンドロヴィチ・メドヴェージェフ(ロシア語: Жоре́с Алекса́ндрович Медве́дев 、英語: Zhores Aleksandrovich Medvedev、1925年11月14日 - 2018年11月15日)は、ロシアの生物学者、歴史家。双子の弟は歴史家のロイ・メドヴェージェフ[1]。
経歴
ソビエト連邦下のグルジア・トビリシで生まれた。父親は赤軍軍政アカデミーの哲学講師、マルクス主義研究者であったが、大粛清のさなかである1938年にブハーリン主義者であるとして逮捕され、モスクワのブティルカ監獄(ru:Бутырская тюрьма)で長期にわたって拷問を受けたあと、シベリア東部コルィマの強制収容所(ラーゲリ)に送られ、1941年に死亡した。ジョレス、ロイと母親は宿舎を追われ、転々とした後ロストフ・ナ・ドヌに移住したが、独ソ戦のためトビリシに避難した[1][2]。モスクワの農科大学(ru:Московская сельскохозяйственная академия имени К. А. Тимирязева)に進み、生物学博士候補となった[1]。
1969年に『ルイセンコ学説の興亡』をアメリカ合衆国で出版したことから、オブニンスクの放射線医学研究所分子生物学研究室長を解任された。カルーガの精神病施設に予防拘禁され、同書の出版や、地下出版とのかかわりについて尋問された。1973年、イギリス出張中にソビエト連邦国籍を剥奪されたが、1990年回復した[3]。
ソビエト連邦共産党を除名されてからも国内で活動し続けたロイと異なり、ジョレスは非党員でありイギリスに国外追放されたが、ともに言論の自由、表現の自由、学問の自由のために闘った点で共通しており、多くの共著がある[2]。
2018年11月15日にロンドンの自宅にて死去。93歳没[4][5]。
著作
- 全4巻で順に、歴史の審判に向けて スターリンとスターリン主義について/ウラルの核惨事/生物学と個人崇拝 ルイセンコの興亡
脚注