初代エクセター公・初代ハンティンドン伯ジョン・ホランド(Thomas Holland, 1st Duke of Surrey, 1st Earl of Huntingdon, KG, 1352年頃 - 1400年1月16日)は、イングランドの貴族。父は初代ケント伯トマス・ホランド、母はジョーン・オブ・ケントで、第2代ケント伯トマス・ホランドは兄、イングランド王リチャード2世は異父弟に当たる。
生涯
兄と共にリチャード2世に重用され、1397年にエクセター公位を授けられた(甥の第3代ケント伯トマス・ホランドもサリー公位を叙爵)。ところが、1399年にクーデターでリチャード2世が廃位されるとヘンリー4世から爵位を取り上げられ元のハンティンドン伯に降格された[1][2]。
ハンティンドン伯はリチャード2世の復権を図りケント伯およびソールズベリー伯ジョン・モンタキュート、元グロスター伯トマス・ル・ディスペンサーと組んで1400年1月の公現祭のヘンリー4世暗殺を計画したが、失敗して捕らえられ処刑された[1][3]。ケント伯も処刑されたが、息子ジョンは後にエクセター公位を与えられ復権を果たした[4]。
子女
1386年にランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの娘(ヘンリー4世の姉)エリザベスと結婚、3男3女を儲けた。
- リチャード(? - 1400年)
- コンスタンス(1387年 - 1437年) - ノーフォーク伯トマス・モウブレーと結婚、サー・ジョン・グレイと再婚
- エリザベス(1389年頃 - 1449年) - サー・ロバート・ファインズと結婚
- アリス(1392年頃 - 1406年頃) - 第11代オックスフォード伯リチャード・ド・ヴィアーと結婚
- ジョン(1395年 - 1447年)
- エドワード(1399年頃 - 1413年以後)
脚注
- ^ a b 青山、P406。
- ^ ロイル、P75 - P76、P424。
- ^ 森、P186 - P187、ロイル、P83、P91。
- ^ ロイル、P413。
参考文献