ジョン・ボスマン
ジョン・ボスマン(John Bosman、1965年2月1日 - )は、オランダ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワード。 経歴クラブユース年代をアムステルフェーンの小さなクラブで過ごし、1983年にアヤックス・アムステルダムと契約を結んだ[1]。ア・デモス監督の下で同年11月20日に行われたローダJC戦でプロデビューを果たし[1]、1985年にデモスの後任としてヨハン・クライフが監督に就任すると、UEFAカップウィナーズカップ 1986-87では8得点をあげて得点王となった[2]。 1988年、アヤックスで5シーズンを過ごした後、ア・デモスが監督を務めるベルギーのKVメヘレンに移籍[3]。メヘレンではミシェル・プロドームやエルウィン・クーマンらと共に1989年2月に行われたUEFAスーパーカップにおいてPSVアイントホーフェンを下し初優勝に貢献[4]。ボスマンはホームで行われた第1戦で2得点をあげる活躍を見せた[4]。 その後はPSV、RSCアンデルレヒト、FCトゥウェンテを渡り歩き、1999年からはAZアルクマールでプレーをしたが、2001年10月に5歳の息子が交通事故で亡くなると[5]、2002年に引退を表明した[3]。 代表オランダ代表としては1986年4月26日に行われたスコットランド代表との国際親善試合でデビュー[6]。1987年10月28日に行われたUEFA欧州選手権1988予選のキプロス代表戦では5得点をあげる活躍を見せたが、この試合はサポーターの深刻なトラブルのため欧州サッカー連盟により没収試合という扱いとなった[6]。1988年、西ドイツで行われた本大会でも代表メンバーに選ばれ、グループリーグ初戦のソビエト連邦代表戦と第2戦のアイルランド代表戦に出場したが[6]、第3戦以降はマルコ・ファン・バステンにポジションを譲った[3]。 1994年、アメリカ合衆国で行われた1994 FIFAワールドカップでは代表メンバーに招集されたが出場機会はなく、1997年6月4日に行われた南アフリカ代表戦が最後の試合出場となった[6]。オランダ代表としての通算成績は国際Aマッチ30試合出場17得点[6]。 引退後引退後は古巣のAZアルクマールでスカウトを務めていたが[7]、2011年7月にアヤックス・アカデミーのアシスタントコーチおよびパーソナルコーチに就任した[7][8]。 個人記録代表での成績
代表での得点
註1 1987年10月28日に行われたキプロス代表戦は欧州サッカー連盟の裁定により没収試合となったが、オランダサッカー協会とRec.Sport.Soccer Statistics Foundation (RSSSF) は、この試合の記録を認めている[6]。 脚注
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