ジョー・ガンケル
ジョセフ・ディロン・ガンケル(Joseph Dillon "Joe" Gunkel、1991年12月30日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州パームビーチ郡ボイントンビーチ出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴マイナーリーグ時代2013年のMLBドラフト18巡目(全体533位)でボストン・レッドソックスから指名され[1]、2013年~2019年はマイナーリーグベースボール(MiLB)に所属し、7年間で計15球団を渡り歩いた。MiLBの安い給料を補うために、オフシーズンにはニュージャージー州の高校で臨時教員をするなどして過ごした[2]。 阪神時代2019年12月15日、NPBの阪神タイガースと1年契約で合意したことが発表された[3]。推定年俸は50万ドル(約5500万円)[3]。背番号は49[4]。 2020年は開幕ローテーションに名前を連ねるも、6月24日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)でシーズン初先発すると4回3失点で敗戦投手となり、試合後に二軍降格が決まった[5]。二軍降格と同時にリリーフへ転向し、一軍再昇格後は中継ぎとして11ホールドを記録したほか、シーズン終盤は再び先発としても起用された[6]。最終的に28試合に登板して防御率3.18、2勝4敗を記録した。シーズン終了後、球団から1年契約で残留することが発表された[7]。推定年俸は75万ドル(7880万円)[7]。 2021年も先発として開幕ローテーションに入り、開幕カード3試合目となる3月28日の対ヤクルト戦(神宮)で先発として初勝利を挙げる[8]。これを皮切りに安定した投球を続け、6月24日の対中日ドラゴンズ戦(バンテリンドーム ナゴヤ)まで無傷の6連勝を達成する[9]。7月14日の対横浜DeNAベイスターズ戦(阪神甲子園球場)で敗戦投手となった[10]ことで連勝は止まったものの、ジーン・バッキーの9連勝(1964)、トレイ・ムーアの7連勝(2003)に次ぐ球団外国人単独3位の開幕連勝記録を築いた[9]。9月26日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で6回を1失点と好投し勝ち投手となったことで、所属球団を除くセ・リーグ全5球団から勝利を挙げたこととなった[11]。シーズン終了後、球団から1年契約で残留することが発表された[12]。推定年俸は150万ドル(1億7000万円)[12]。特に中日に対しては3戦3勝、防御率0.46と無類の強さを誇った[13]。 2022年は、シーズン初登板となった4月3日の巨人戦で、初回に中田翔に満塁本塁打を打たれ4回4失点で降板した[14]。6月2日の対西武戦では猛打賞を記録して[15]6-1で勝利投手となる[16]。しかし、夏場以降は不調に陥り、8月以降は一軍登板無しに終わる。その後10月28日に阪神球団より2023年シーズンの契約を結ばないと発表[17]。12月2日に自由契約公示された[18]。 ソフトバンク時代2022年12月20日、福岡ソフトバンクホークスへの入団が発表された[19][20]。背番号は27。 先発ローテの一角として期待されたが、5試合に登板し、0勝1敗、防御率5.82と成績を残せず オフの12月1日に、自由契約となった。 ツインズ傘下時代2024年2月3日にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結んだ。 選手としての特徴196cmの高身長とサイドスローから最速151km/hのツーシームに加え、スライダー、スプリット、シンカーなどを投げ分ける。ゴロを打たせる投球スタイルが持ち味のグラウンドボールピッチャーで、マイナー通算では与四球率1.5という数字を誇る抜群の制球力が武器。来日1年目には対右打者の被打率が.219に対して対左打者では.290と左打者を苦手とする傾向を見せていたが、2年目には大きく改善を見せ、左右同程度の被打率となっている。 投球の際に体の芯がブレないフォームは中田良弘から「理想的」と評されている[21]。 人物
詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録
背番号
登場曲
脚注
関連項目外部リンク
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