タンジェ (ベルベル語 : ⵜⵉⵏ ⵉⴳⴳⵉ Tin Iggi 、アラビア語 : طنجة ṭanǧa 、発音 [tˤandʒa] 、フランス語 : Tanger 、スペイン語 : Tánger タンヘル、ポルトガル語 : Tânger タンジェル、英語 : Tangier またはTangiers )は、モロッコ 北部にある都市。人口は、約95万人(2014年)。ジブラルタル海峡 に面した港町で、スペイン やジブラルタル などから多くフェリーが行き来し、国際都市 として栄えている。タンジール の表記も見られる。
歴史
紀元前4世紀 頃にカルタゴ によって設けられた交易拠点が起源となる。紀元前146年 にカルタゴが滅亡するとタンジェはローマ帝国 (マウレタニア・ティンギタナ 属州)となった。タンジェは発展し3世紀 頃にはマウレタニア・ティンギタナ属州の州都となった[ 3] 。5世紀 にはヴァンダル王国 に征服され、6世紀 前半のユスティニアヌス1世 の時代に東ローマ帝国 の支配を経て[ 3] 、711年 にイスラム教 勢力のウマイヤ朝 が征服した[ 4] 。740年 頃のベルベル人の反乱 (英語版 ) の結果、ウマイヤ朝から独立[ 5] 。8世紀 後半にはイドリース朝 がモロッコで興りイドリース朝の支配下となるが、951年 には後ウマイヤ朝 によって占領され[ 注釈 2] 、1075年 にはムラービト朝 が、1149年 にはムワッヒド朝 が、1275年 にはマリーン朝 によって占領された[ 3] 。
タンジェのイングランド軍の要塞・港を描写した1680年の版画
キリスト教徒 によるレコンキスタ (再征服運動)の進展にともない、1415年 にはアフリカ北岸のセウタ がポルトガル 領に組み込まれ[ 注釈 3] 、タンジェも1471年 にはポルトガル領となった[ 3] 。1661年 、ポルトガル王女カタリナ とイングランド 王チャールズ2世 の結婚による持参金代わりに一時的にイギリス領になってしまったが、1679年 頃にアラウィー朝 スルターン のムーレイ・イスマーイール の命令によってアリ・ベン・アブドゥッラー・エル=リッフィー 率いる軍がタンジェを包囲[ 注釈 4] 。1684年 2月5日 [ 注釈 5] にはイングランドはタンジェ要塞の維持費が高いことを理由にアラウィー朝に引き渡しアラウィー朝が占領する[ 3] 。
帝国主義 の時代になると、モロッコがフランス とドイツ の角逐の場となり、1905年 3月31日 にはフランスのモロッコ支配を阻止しようとするドイツ皇帝ヴィルヘルム2世 がタンジェに上陸した。このタンジェ事件(第一次モロッコ事件 )は翌1906年 のアルヘシラス会議 で妥協が図られた[ 3] が最終的な決着はつかず、1911年 のアガディール事件(第二次モロッコ事件 )を経て、モロッコはフランスにより保護国化され、タンジェは国際管理地域 (英語版 ) とされた[ 4] 。タンジェの国際管理化は第一次世界大戦 での中断を経て、1923年 12月18日 のパリ 会議でフランス、スペイン 、イギリス の三国による条約が締結され、1925年 より開始された。後に条約にイタリア 、ポルトガル 、ベルギー 、オランダ 、アメリカ 、ソビエト連邦 も加入した[ 3] 。
第二次世界大戦 勃発後の1940年6月 、スペイン軍はタンジェに侵攻し、一方的にスペイン保護領モロッコ への併合を宣言した[ 3] 。しかし世界大戦終結から半月後の1945年8月31日、タンジェは国際管理地域に復帰した。1956年10月、フェダラ 会議にて条約加盟各国はタンジェの国際管理終結を決定。1956年12月31日をもって国際管理は終わり、タンジェはモロッコに復帰した[ 4] [ 3] 。復帰に当たり、1960年4月18日までの期限付きで為替や貿易に関する特別措置が採られている[ 3] 。
地理
ジブラルタル海峡 に臨む港湾都市である。北西の郊外にはジブラルタル海峡と大西洋の境界線のスパルテル岬 (英語版 ) がある。
気候
ケッペンの気候区分 で地中海性気候 (Csa)に区分される。
タンジェ(イブン・バットゥータ国際空港 ) (1961年–1990年、極値 1961年–現在)の気候
月
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
年
最高気温記録 °C (°F )
22.0 (71.6)
27.0 (80.6)
25.0 (77)
27.0 (80.6)
34.0 (93.2)
36.0 (96.8)
41.0 (105.8)
39.0 (102.2)
39.5 (103.1)
30.0 (86)
27.0 (80.6)
24.5 (76.1)
41.0 (105.8)
平均最高気温 °C (°F )
16.2 (61.2)
16.8 (62.2)
17.9 (64.2)
19.2 (66.6)
21.9 (71.4)
24.9 (76.8)
28.3 (82.9)
28.6 (83.5)
27.3 (81.1)
23.7 (74.7)
19.6 (67.3)
17.0 (62.6)
21.8 (71.2)
日平均気温 °C (°F )
12.5 (54.5)
13.1 (55.6)
14.0 (57.2)
15.2 (59.4)
17.7 (63.9)
20.6 (69.1)
23.5 (74.3)
23.9 (75)
22.8 (73)
19.7 (67.5)
15.9 (60.6)
13.3 (55.9)
17.7 (63.9)
平均最低気温 °C (°F )
8.8 (47.8)
9.4 (48.9)
10.1 (50.2)
11.2 (52.2)
13.4 (56.1)
16.2 (61.2)
18.7 (65.7)
19.1 (66.4)
18.3 (64.9)
15.6 (60.1)
12.2 (54)
9.7 (49.5)
13.6 (56.5)
最低気温記録 °C (°F )
−4.2 (24.4)
1.0 (33.8)
3.5 (38.3)
1.0 (33.8)
7.0 (44.6)
10.0 (50)
11.0 (51.8)
11.0 (51.8)
10.0 (50)
7.0 (44.6)
3.0 (37.4)
4.0 (39.2)
−4.2 (24.4)
降水量 mm (inch)
103.5 (4.075)
98.7 (3.886)
71.8 (2.827)
62.2 (2.449)
37.3 (1.469)
13.9 (0.547)
2.1 (0.083)
2.5 (0.098)
14.9 (0.587)
65.1 (2.563)
134.6 (5.299)
129.3 (5.091)
735.9 (28.972)
平均降水日数
11.2
11.4
10.1
9.3
6.1
3.7
0.8
0.8
3.1
8.0
11.1
12.0
87.6
% 湿度
80
81
78
78
76
74
70
72
73
76
79
81
76
平均月間日照時間
169.2
166.9
231.7
251.7
298.9
306.8
344.0
330.7
275.6
238.2
180.6
166.9
2,960.7
出典1:NOAA[ 6]
出典2:ドイツ気象局 (humidity, 1973–1993)[ 7] Meteo Climat (record highs and lows)[ 8]
経済
主な産業としては、織物 、化学物質 、機械 、金属工学 、海軍装備である[ 9] 。また、イブン・バットゥータ国際空港 の近くにはタンジェ・フリーゾーン(自由貿易地区)があり、10年間で60億モロッコ・ディルハム 投資されており、45,000人の雇用を創出している[ 10] 。日本の自動車部品メーカーも多く進出している[ 11] 。フィナンシャル・タイムズ の格付けによると2015年にタンジェ・フリーゾーンがアフリカ1位のフリーゾーンに選ばれた[ 12] 。
交通
空港
南西15kmのところにはイブン・バットゥータ国際空港 がある。
鉄道
市内北部にはONCF の鉄道駅タンジェ・ヴィル駅 がある。2018年 11月18日には、北アフリカ最初の高速鉄道 として、フランス のTGV を土台にしたタンジェ=カサブランカ高速鉄道 がカサブランカ との間で開通している
[ 13] 。
フェリー
市内のフェリー乗り場からは、アルヘシラス など向かうフェリーが出ている。
旧市街
スポーツ
サッカー
タンジェをホームとするサッカークラブがある。
タンジェ出身の著名人
施設・観光地
観光地
スポーツ施設
タンジェにはイブン・バットゥータ・スタジアム を中心とした74ha に及ぶスポーツ複合施設があり、テニスコート、ラグビー競技場、バスケットボール競技場などがある[ 16] 。
別荘地
多文化な国際都市であることから、1930年代ごろから著名人や富裕層が集まるリゾート地として人気を集め、ポール・ボウルズ 、テネシー・ウィリアムズ 、ウィリアム・バローズ 、アレン・ギンズバーグ 、ジャック・ケルアック 、ローリングストーンズ 、ジョージ・オーウェル といった文化人や、バーバラ・ハットン ら世界のミリオネアが別荘を所有し、滞在した [要出典 ] 。
姉妹都市
ギャラリー
関連項目
脚注
注釈
出典
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
タンジェ に関連するメディアがあります。