ダグラス・ブラック (陶芸家)ダグラス ブラック[1][2][3][4][5][6](英語表記:Douglas Black、1967年[1][3][5](昭和42年)[2]5月12日[2] - )とは、アメリカカンザス州出身の[2][1][3][5][6]、日本の栃木県芳賀郡茂木町在住の芸術家であり陶芸家である[2][1][3][5][6]。 自然と生命と宇宙の神秘を追求し、土を用いて、主に陶芸という手法を用いて表現活動を行っている[3][6]。 経歴1967年(昭和42年)[2]5月12日[2]、 カンザス州ローレンス市に生まれる[2][1][3][5]。 名付け親は父親の親友であり、ネイティブ・アメリカンのアーティストのDoug Coffin[6]。そしてダグラスの生まれ故郷のローレンスは、ネイティブ・アメリカンとの縁が深かった。そのため幼い頃から、自然や宇宙を語り上げるネイティブ・アメリカンの伝承や物語に触れて育った。特別に学んだ訳ではなかった。けれどもネイティブ・アメリカンの思想はダグラスの魂に刻まれ、後の創作活動や人生に大きな影響を与えた[6]。 写真の勉強をしたくて[1]オハイオ州コロンバス芸術大学[2]に入学し[1]芸術を学んだ[3]。最初はデザインから学び[3]、グラフィックデザインも学んだ[1]。ある時、陶芸をやっていた友人の家に遊びに行き轆轤挽きを体験し[1]、土や火を使う仕事の虜になり[1]、写真をやめて、ガラスや木材にも触れながら彫刻や陶芸を勉強した[1][3]。1987年、大学の授業の一環として招かれた日本の陶芸家により「日本の陶芸」と出会い、その姿に衝撃を受けた[6]。そして気が付いた時には毎日のように土に触れていた[3]。 1990年[1](平成2年)[2]、同大学の陶芸科を卒業した後[2][1][3][5]、在学中に同大学教授であった梶谷朕[7]の指導を受けたのが縁となり[1]、日本政府発行の「芸術」の在留資格[8]の査証(ビザ):Artist Visa を取得して、本格的に「日本の陶芸」を学ぶために来日する[2][4][3][5][6]。 始めは三重県桑名市の陶芸家の元で6カ月間修行した[1]。日本の伝統的な陶芸を学んだり、コンテンポラリー陶芸家のアシスタントも務めた[5]。 1991年[1](平成3年)、友人から茂木に建てられていた古民家を紹介され[6]、三重県から栃木県芳賀郡茂木町に移住し[1]、茂木町の陶芸家[6]・苧坂恒治に師事する[1]。1992年。茂木町の那珂川のほとりに築窯し独立し[1][4][3][5]、日本の茂木に居付く事になる[6]。 実は茂木に移った頃は、一度アメリカに戻るつもりだった[6]。しかしこの時期に、当時空間プロデューサーをしていた[1]、後に栃木県益子町のカフェギャラリー「starnet」主宰となる馬場浩史(故人)と出会い[6][1]、1994年(平成6年)から1997年(平成9年)にかけて馬場が起ち上げた「遊星社」[2]の表現団体「GEOIDWORK」のメンバーとなり[5][6]、舞台やファッションショーやコンサートなどの[1][2]舞台美術を手掛け[2]、プロのパーカッショニストがダグラスの製作した陶製の太鼓を叩いて1日パフォーマンスを行ったこともあった[1][5][6]。そして縁が繋がり、益子町の陶芸店でも自身の作陶作品を扱ってもらえるようになり、気が付けば楽し過ぎて30年以上も茂木に住んでいた[6]。 今でも陶芸の他に、ガラスや木、鉄などを素材としたオブジェやインスタレーションや空間作りにも取り組み表現活動を行っている[5][6]。また今の工房は、基礎工事の本を購入し自身の手でセルフビルドで建てた[1]。 そして茂木で自然に触れる内に生命の神秘に影響を受け[3]、土と対話しながら、灰釉を用いて青色の斑点を[6]、そして上絵や金彩を掛け合わせて[6]宇宙を思わせる表現を持つ作陶をしている[3][6]。 脚注
参考文献
外部リンク
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