Boston(ボストン), Chicago(シカゴ), New Orleans(ニューオーリンズ), Seattle(シアトル)と名付けられた4機の機体は1924年4月4日、シアトルを出発し世界一周飛行に飛び立った。4月30日Seattleはアラスカ山中で、事故をおこすが、乗員2名は原野をぬけて無事帰還した。残る3機は、慎重に計画された物資補給を受けて、アジア、中東、ヨーロッパを飛行した。Bostonは大西洋横断中に脱落するが、残る2機は大西洋を横断してアメリカ合衆国に帰還した。そこで試験機 Boston IIに合流し、シアトルの出発点に1924年9月28日帰還した。出発から175日で44,342 kmの大飛行であった。
Chicagoはスミソニアン博物館に保存され、New Orleansは Los Angeles County Museum of Natural Historyに保存され、墜落したSeattleは復元され、Alaska Aviation Heritage Museumに展示されている。
DWCの成功はダグラス社を発展させた。ダグラス社のモットーとして "First Around the World - First the World Around"(世界初の世界一周)をとなえ、地球を回る飛行機を描いた会社のマークが採用された。このマークはその後「球体(地球)を回るミサイルと航空機」を図案化したマークへと進化し、マクドネル社とダグラス社が合併して成立したマクドネル・ダグラス社に引き継がれた他、マクドネル・ダグラス社を買収・吸収したボーイング社も、多少のアレンジを施した上で引き継いでいる。