ダン・クイゼンベリー
ダニエル・レイモンド・クイゼンベリー(Daniel Raymond Quisenberry , 1953年2月7日 - 1998年9月30日)はアメリカの元プロ野球選手(投手。アンダースロー)。右投右打。アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ出身。ニックネームは「Quiz(クイズ)」。 MLBにおけるクローザーの草分け的存在である。現役時代は、1980年から1985年にかけて、カンザスシティ・ロイヤルズの絶対的なクローザーとして活躍。最多セーブ投手に5回輝き、通算244セーブを挙げた。 人物・来歴1975年にカンザスシティ・ロイヤルズにドラフト外で入団。1979年7月8日にメジャー初登板。この年は32試合に登板し、5セーブをあげるにとどまった。ところが、1980年にジム・フライ監督の奨めでピッツバーグ・パイレーツのケント・テカルヴに似せたアンダーハンドにフォームを変えるとこれが大成功。この年75試合に登板し、12勝7敗、そしてリーグ最多の33セーブをあげる。球速はなく、この年も128回1/3を投げて37奪三振と、リリーフエースにしては非常に三振が少ないが、持ち前の制球力とシンカー(シンキング・ファストボール)で凡打の山を築く。コントロールは絶妙で、通算1,043回1/3を投げて与えた四球はわずか162。9イニング平均で1.40個で、これは1926年以後にメジャーで1,000イニング以上投げた投手の中では最少である。 50日間に及ぶストライキでシーズンが中断された1981年は18セーブに終わったが、1982年には初のオールスター出場を果たし、35セーブをあげて2年ぶりにセーブ王に返り咲く。1983年には、メジャー史上初のシーズン40セーブを達成。最終的には45セーブまで伸ばした(翌1984年にブルース・スーターがタイ記録を樹立し、1986年にデーブ・リゲッティによって更新された)。1983年は9イニング平均0.71個四球、1984年は0.84個という少なさであった。また1981年には日米野球でロイヤルズの一員として来日し、アンダースローで日本の打者を苦しめた。 1984年は44セーブ、1985年も37セーブをあげ、この年まで4年連続でア・リーグセーブ王に君臨。1985年には球団創設初のワールドシリーズ制覇に貢献した。この間、1983年にはロイヤルズと、年俸の一部の支払を、利息をつけた上で引退後に行ういわゆる「終身契約」を結ぶ。しかし1986年は12セーブ、1987年は8セーブと大きく成績を落とす。1987年にはア・リーグの通算セーブ記録を更新した(1992年にジェフ・リアドンによって更新された)。1988年には中継ぎに降格したが、オールスターでの中断中にロイヤルズを解雇となり、セントルイス・カージナルスに移籍した。翌1989年もカージナルスで投げるが、主に中継ぎでの起用で6セーブ。 1990年にサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍するが、5試合の登板で防御率13.50の散々な成績で、最後の登板となった4月23日に回旋筋断裂の重傷を負い、そのまま現役を引退した。 引退後は詩人となっていたが、1997年12月に脳腫瘍の診断を受ける。ガンに転移し、翌1998年に45歳で死去した。 受賞歴・記録タイトル表彰
年度別投手成績
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