ダヴィド・セバスティアン・クレメント・ロゼフナル(David Sebastian Klement Rozehnal, 1980年7月5日 - )は、チェコ(当時チェコスロバキア)・オロモウツ州シュテルンベルク出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはDF(主にセンターバック)。
来歴
キャリア初期
地元クラブであるTJソコル・コジュシャニのユースを経て、SKシグマ・オロモウツでプロデビュー。
2003年にジュピラー・リーグのクラブ・ブルッヘへ移籍。翌年にはEURO2004のチェコ代表のメンバーに招集され、チームは準決勝まで進出した。ベルギーでの初年度で国内カップを、翌シーズンにはリーグ戦を制した。
PSG
2005-06シーズンよりリーグ・アンのパリ・サンジェルマンFCに4年契約で移籍[2]。翌シーズンにはマリオ・ジェペスと共にセンターバックのレギュラーを務め、クラブの年間最優秀選手に選出された。シーズンオフにはボルシア・ドルトムントから移籍金270万ポンドのオファーを受けるがクラブはこれを拒否した[3]。
ニューカッスル
同月29日、290万ポンドの移籍金でプレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッドFCと4年契約を締結した[4]。出場試合数に応じて20万ポンドが追加で支払われる。タイタス・ブランブルやクレイグ・ムーア、オグチ・オニェウら守備陣を放出したサム・アラダイス率いるクラブにとって、ジョーイ・バートンとマーク・ヴィドゥカに次ぐ3人目の補強となった。
8月11日のボルトン・ワンダラーズFC戦でスタメンに名を連ねリーグデビューし、3-1の勝利で飾る[5]。
ラツィオ
2008年1月31日、グリエルモ・ステンダルドをユヴェントスFCに放出していたセリエAのSSラツィオにシーズン終了まで期限付き移籍[6]。ローン中は7試合の出場に留まったが、シーズン終了後に買い取りオプションが行使され完全移籍となった[7]。2008-09シーズンはレギュラーとしてリーグ戦28試合に出場した。
HSV
2009年7月29日、アレックス・シウヴァが前十字靭帯断裂で長期離脱となっていたハンブルガーSVへ3年契約で加入[8]。ブルーノ・ラッバディア監督の下ポジションを確保したが、翌年8月には不安定なパフォーマンスを理由に新監督であるアルミン・フェーの構想外となった[9]。
リール
同年8月31日、シャルケ04へ移籍したニコラ・プレスタン(英語版)の後釜としてリールへシーズンローンで加入[10]。クープ・ドゥ・フランス決勝では古巣であるPSGと対戦。1-0で勝利を収めクラブ史上初となる同大会のトロフィー獲得に貢献した。翌シーズンより完全移籍し、引き続きリュディ・ガルシアの指揮を受ける[11]。2014-15シーズン限りでスタッド・ピエール=モーロワを去ることが発表された[12]。
オーステンデ
2015年6月29日、KVオーステンデと1年契約を締結しベルギーに復帰した[13]。シーズン終了後には契約延長オプションが行使され、2017年6月5日には1年間の新契約が発表された[14]。
キャリア晩年
2018年4月4日にプロとしてのキャリアに終止符を打ち、兄弟のマレクがプレーしチェコ7部リーグに所属する古巣ソコル・コジュシャニへ加入。同月9日に同クラブデビューとなった[15]。
代表
SKシグマ・オロモウツでの活躍が認められ、2002年のUEFA U-21欧州選手権に向けたU-21チェコ代表に招集され、同大会優勝メンバーの一員となった。2006 FIFAワールドカップ本大会グループリーグの全3試合に出場したが、チームは決勝トーナメント進出はならなかった。UEFA欧州選手権には2004年大会及び2008年大会に参加している。
特徴
191cmという高身長ながらフィジカルだけでなく鋭い読み、さらには統率力も併せ持つセンターバック。足元のテクニックもあり正確なフィードを前線に送ることが出来、カウンターの基点ともなれる。若干スピード不足気味なのが弱点[要出典]。
人物
2007年10月3日、妻ペトラとの間に長男ルカが誕生している[16]。
代表歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 60試合 1得点(2004年-2009年)[17]
チェコ代表 | 国際Aマッチ |
年 | 出場 | 得点 |
2004 |
9 |
0
|
2005 |
9 |
0
|
2006 |
13 |
0
|
2007 |
10 |
0
|
2008 |
12 |
0
|
2009 |
7 |
1
|
通算 |
60 |
1
|
タイトル
- クラブ・ブルッヘ
- PSG
- ラツィオ
- リール
脚注
外部リンク