ティツク・デツェン(チベット語:ཁྲི་གཙུག་ལྡེ་བཙན、802年 - 841年[1])は、古代チベットである吐蕃の王(在位:815年 - 836年)。彼はレルパチェン(རལ་པ་ཅན)(ティ・レルパチェンとも)の綽名でも知られ、ソンツェン・ガンポ、ティソン・デツェンとともに「チベットの護教王」と呼ばれる。漢文史料では可黎可足、彝泰賛普と表記される。
文化的な功績としては、先代の王、ティソン・デツェン、ティデ・ソンツェンとともに『翻訳名義大集(英語版)』と『二巻本訳語釈』を編纂させ、大規模な仏典翻訳の礎を築いたことが挙げられる[2]。
841年、ティツク・デツェン王は大論(宰相)バー・ギャルトレ(英語版)らに絞殺され、その兄弟ラン・ダルマ王が即位する。
脚注