ディノ・ラジャ(Dino Rađa 1967年4月24日-)は、クロアチアスプリト出身の元プロバスケットボール選手。現役時代のポジションはパワーフォワードまたはセンター。
経歴
クラブチームでの経歴
地元のKKダルヴィンでキャリアを開始した。その後KKスプリトに入りプロ生活を始めた。そこで彼はトニー・クーコッチと共に2度ヨーロッパのクラブ選手権を制覇した。また1988-89シーズンにはユーロリーグファイナル4MVP(英語版)に選ばれている。その後彼はセリエAのヴィルトゥス・ローマに移籍して、チームの3連覇には立ち会わなかった。1990-91シーズン、彼は平均18.1得点をあげ、ヨーロッパのスポーツジャーナリストによる投票で、そのシーズン2番目に活躍した選手に選ばれた(最も票を集めたのはトニー・クーコッチ)。その後彼は平均得点を20.2得点、21.5得点とあげていき、1992年チームはコラチカップで優勝した。
1989年のNBAドラフトにて2巡目40位でボストン・セルティックスから指名されていたが、4年後の1993年にセルティックスと契約を結んだ。ルーキーシーズン、彼はシーズン平均15.1得点、7.2リバウンドをあげてNBAオールルーキーセカンドチームに選ばれた。セルティックスでは1試合平均16.7得点、8.4リバウンドをあげた。1997年、フィラデルフィア・セブンティシクサーズのクラレンス・ウェザースプーンとのトレードが持ち上がったが、6月24日、フィジカルテストに失格した。
この年彼はヨーロッパへ復帰、パナシイナイコスBCに加入、2シーズンを過ごしギリシャA1バスケットボールリーグでの連続優勝に貢献した。クラブ社長の息子との試合後ロッカールームでの諍いもあり、彼はチームを退団、1999年にクロアチアのKKザダルに加入した。2000年にはギリシャに復帰、パナシナイコスの長年のライバルであるオリンピアコスBCに加入したが優勝することはできなかった。2001-2002シーズンをKKシボナ、2002-2003シーズンはKKスプリトでプレー、リーグ戦の優勝を花道に現役を引退した。
個人成績
NBA
レギュラーシーズン
シーズン
|
チーム
|
GP
|
GS
|
MPG
|
FG%
|
3P%
|
FT%
|
RPG
|
APG
|
SPG
|
BPG
|
PPG
|
1993–94
|
BOS
|
80 |
47 |
28.8 |
.521 |
.000 |
.751 |
7.2 |
1.4 |
.9 |
.8 |
15.1
|
1994–95
|
66 |
48 |
32.5 |
.490 |
.000 |
.759 |
8.7 |
1.7 |
.9 |
1.3 |
17.2
|
1995–96
|
53 |
52 |
37.4 |
.500 |
--- |
.695 |
9.8 |
1.6 |
.9 |
1.5 |
19.7
|
1996–97
|
25 |
25 |
35.0 |
.440 |
.000 |
.718 |
8.4 |
1.9 |
.9 |
1.9 |
14.0
|
通算
|
224 |
172 |
32.6 |
.497 |
.000 |
.735 |
8.4 |
1.6 |
.9 |
1.3 |
16.7
|
プレーオフ
シーズン
|
チーム
|
GP
|
GS
|
MPG
|
FG%
|
3P%
|
FT%
|
RPG
|
APG
|
SPG
|
BPG
|
PPG
|
1995
|
BOS
|
4 |
3 |
38.3 |
.400 |
--- |
.714 |
7.0 |
2.3 |
1.0 |
1.3 |
15.0
|
通算
|
4 |
3 |
38.3 |
.400 |
--- |
.714 |
7.0 |
2.3 |
1.0 |
1.3 |
15.0
|
代表歴
1987年、イタリアのボルミオで行われたバスケットボールジュニア世界選手権にユーゴスラビア代表として出場、金メダルを獲得した。その後、ユーゴスラビア代表、クロアチア代表としてもトニー・クーコッチ、ドラゼン・ペトロヴィッチ、ブラデ・ディバッツらとともに長年活躍し、1988年のソウルオリンピック、NBAに所属するマイケル・ジョーダンやマジック・ジョンソンら、ドリームチームが初めて出場した1992年のバルセロナオリンピックでも銀メダル、ドリームチームIIも出場した1994年バスケットボール世界選手権で銅メダルを獲得している。
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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