トゥーリー
トゥーリー (Two Lea) は、アメリカ合衆国で生産・調教されたサラブレッドの競走馬、および繁殖牝馬。競走馬としてはおもに3歳時と6歳時に活躍し、繁殖入り後には名馬ティムタムなどの母となった。1982年にアメリカ競馬殿堂入りしている。 経歴1946年にカルメットファームで生まれた馬である。父は名種牡馬ブルリー、母は1936年のケンタッキーオークスの勝ち馬トゥーボブという良血の生まれであった。カルメットファームからはブルリー産駒の活躍馬が多数出ており、後にトゥーリーもそのうちの1頭となった。 競走馬デビューは2歳となった1948年。この頃、トゥーリーの脚には蹄の近くの骨に大きな腫瘍ができており、これのせいで調教が思うように行かず、デビュー戦を迎えることが出来たのは8月になってからであった。初戦となったワシントンパーク競馬場の未勝利戦は3着、続いて出走したベルモントパーク競馬場でも3着と、平凡なスタートであった。3戦目の未勝利戦を4馬身差をつけて勝ち、この年の競走を終えた。 3歳シーズン、トゥーリーは4月の一般戦から始動し、ステークス競走を含む7戦で6勝という好成績を残した。クレオパトラハンデキャップでは同年のケンタッキーオークス勝ち馬のウィストフルに勝ち、アートフルステークスでは1947年の全米最優秀3歳牝馬バットホワイノットをコースレコードで破るなど、その内容も濃いものであった。この年、トゥーリーはウィストフルとともに最優秀3歳牝馬に選出された。 1950年、4歳になったトゥーリーは牡馬との対戦も積極的に行っていた。サンタアニタマーチュリティでは前年のケンタッキーダービー馬のポンダーと対戦して2着、サンタアニタハンデキャップでは三冠馬サイテーションとイギリスからの移籍馬ヌーアを相手に3着に健闘するが、結局このシーズンは牡馬の強豪を相手に勝ちを挙げることはできなかった。しかし5戦して2勝、アーカディアハンデキャップやサンタマルガリータハンデキャップでの勝ち星が評価され、同年の最優秀古牝馬に選ばれた。 この後、トゥーリーはデビュー前から患っていた脚部不安が再発したことにより、5歳シーズンを全休する22ヶ月もの休養期間に入った。再度の出走は、6歳になった1952年の5月からであった。復帰初戦の一般戦を5着、次走で2年4ヶ月ぶりの勝利を得た。この後のトゥーリーは充実した成績を残し、ヴァニティハンデキャップでは再びウィストフルを破り、ハリウッドゴールドカップでは牡馬を相手にしながら優勝している。 同年10月のベイメドウズハンデキャップ2着を最後に引退、繁殖入りした。 引退後故郷のカルメットファームで繁殖入りして8頭の競走馬を産み、そのうち3頭がステークス競走勝ちを収めている。その産駒のうち、ティムタム(父トムフール)は1958年のアメリカ二冠馬になるなど際立った活躍を見せ、後にトムフール・トゥーリーと共に親子での殿堂入りを果たしている。 また、ブルックリンハンデキャップなどに勝ったオンアンドオン(父ナスルーラ)は種牡馬としても活躍し、1968年のアメリカ二冠馬フォワードパスや、アリダーなどG1馬3頭の母となった名牝スウィートトゥースなどの父となった。 日本にはティムタムの全妹モンアンジュの子孫スイートフランスがシンボリ牧場に輸入されており、代を経てセイウンスカイがクラシック制覇を達成している。 1973年、トゥーリーは27歳で死亡した。その遺骸はカルメットファームに埋葬されている。1982年トゥーリーはアメリカ競馬名誉の殿堂博物館によって、殿堂馬の一頭として選定された。 評価主な勝鞍
年度代表馬表彰
血統表
出典
外部リンク
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