トッド・バルカン[1](Todd Barkan、1946年8月13日 - )は、アメリカのジャズ興行主、プロデューサー。
略歴
ネブラスカ州リンカーンで生まれたバルカンは、オハイオ州コロンバスで育ち、オーバリン大学に通った[2]。1972年から1983年までサンフランシスコでキーストーン・コーナーというクラブを経営しており、ジャーナリストのボブ・マーゴリスの言葉を借りれば、このクラブは「冒険的なブッキングとボヘミアンな雰囲気で伝説的なクラブ」となった[3]。若い頃からジャズのファンだったバルカンは、損益分岐点に達していないにも関わらずクラブを経営し続け、財政難により1983年にクラブを閉鎖した。その後、バルカンはニューヨークへと拠点を移し、そこでハーレム・ボーイズ・クラブのマネージャーに就任した。1990年頃、彼はオークランドのクラブ「ヨシズ (Yoshi's)」の経営者としてベイエリアに戻った[3]。1993年にはヨシズを辞め、その後の10年間は、ファンタジー、マイルストーン、ハイノート、コロムビア、サニーサイド、コンコードなどのレーベルや、多くの日本のレーベルでレコード・プロデューサーとして働いた[3]。
2000年、バルカンはジョエル・ドーンの後任としてジャズ・レーベル、32レコードの責任者として雇われた[3]。2001年にジャズ・アット・リンカーン・センターのディジーズ・クラブ・コカ・コーラのディレクターとして働き始め、2012年までその職を務めた[4][5]。2011年にバルカンは交通事故に遭い、数週間入院している[4]。2013年から、ニューヨークのクラブ、イリジウムでジャズ・ナイトを主催し始めた[6]。
2019年、バルカンとミシュランの星を獲得しているシェフ、ロバート・ヴィードマイヤーは、ボルチモアのハーバー・イーストにキーストーン・コーナーを再オープンした[7]。
受賞歴
2018年 NEAジャズ・マスターズ[2]
脚注
- ^ 「トッド・バーカン」の表記もある。
- ^ a b “NEA Jazz Masters”. National Endowment for the Arts. November 1, 2017閲覧。
- ^ a b c d Margolis, Bob (August 24, 2000). “Producer Todd Barkan On The Past And Future Of Jazz”. MTV News. September 4, 2023閲覧。
- ^ a b Levine Leitch, Sylvia (February 22, 2011). “Todd Barkan: Taking Care of the Music”. JazzTimes. ISSN 0272-572X. https://jazztimes.com/columns/inservice/todd-barkan-taking-care-of-the-music/.
- ^ Jackson, Vincent (May 9, 2016). “Todd Barkan hosts Point jazz festival”. The Press of Atlantic City. http://www.pressofatlanticcity.com/life/todd-barkan-hosts-point-jazz-festival/article_34127eb8-15e4-11e6-8307-b35aa21ea4ce.html
- ^ Chinen, Nate (February 28, 2013). “Summoning a West Coast Spirit”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2013/03/01/arts/music/todd-barkans-keystone-korner-nights-at-iridium.html
- ^ “Keystone Korner Club Revived in Baltimore”. JazzTimes. 5 April 2019時点のオリジナルよりアーカイブ。24 March 2020閲覧。
外部リンク