イースト・ホースリーのターナーの家。
トマス・ターナー (Thomas Turner、1729年 6月9日 (ユリウス暦 )- 1793年 2月6日 )は、イングランド 南部サセックス (後のイースト・サセックス 州)イースト・ホースリー (英語版 ) の商店主。今日では、その書き残した日記 によって広く知られている。
生い立ち
ターナーは、 ケント 州スペルドハースト (英語版 ) 小教区 グルームブリッジ に生まれた[ 2] 。1735年 、ターナーの父はサセックスのフラムフィールド (英語版 ) に店を構えた[ 2] 。ターナーがどのような学校教育を受けたかはほとんどわかっていないが、彼の手記が明晰に書かれていること、実用的な計算能力をもっていたこと、また幅広い知的な関心などから、ある程度の水準の教育を受けていたものと思われる[ 2] 。1750年 、21歳のときに、ターナーは自分の店をイースト・ホースリーに構えた[ 2] 。
ターナーは最初の妻マーガレット・スレイター(通称「ペギー」: Margaret ('Peggy') Slater、1733年 - 1761年 )と、1753年 10月15日 に結婚した[ 2] 。ふたりの間には、ひとり息子ピーター (Peter) が1754年 8月19日 に生まれた[ 2] 。1755年 1月16日 、ターナーは次のように記した。「今朝、午前1時ころ、幼いわが息子ピーターを、21週と3日で失うという不運に見舞われた。[ 3] 」
日記:1754年 – 1765年
ターナーは、生涯の中で11年間にわたって日記 を付けており、現存する最も古い日付は1754年 2月21日 のものである。この日記を記した目的はいくつもあり、商売の帳簿として、あるいは、法的なやりとり、不動産取引の記録として、また、宗教的考察や、ターナーの日々の生活の記録としても機能していた。結婚生活がターナーの期待に反するものとなっていたことは、しばしば落ち込んだ雰囲気の記述が見られる原因となっていた[ 2] 。
ターナーは、イースト・ホースリーのコミュニティにおいて、重要な人物であった[ 2] 。商店を営んでいたことに加え、 葬儀屋 、学校長、貧民の調査・保護役などを兼ねていたのである。ターナーは、他人が遺言を書くのを手助けし、会計を管理し、徴税役も務めていた[ 2] 。教区委員会 (vestry) にも定期的に参加しており、時々はニューカッスル公爵 家のハランドの屋敷 (Halland House) も訪れていた[ 2] 。
ターナーは社交やクリケット競技とともに、読書にも熱心だった[ 2] 。宗教的な文献のみならず、ウィリアム・シェイクスピア 、ジョン・ロック 、ジョゼフ・アディソン 、サミュエル・リチャードソン などの著作を読んでいた。医学文献、新聞、定期刊行物、滑稽小話集 (英語版 ) などのほか、ターナーの関心は装蹄術 、政治、旅行などにも及んでいた。ひとりで読書することもあったが、妻や友人たちと、大きな声で音読することもしばしばあった[ 4] 。
日記の手書き原本と出版
ターナーの日記は、完全な形で出版されたことはない。デイヴィッド・ヴェイジー (英語版 ) が編集した版には、全体のおよそ3分の1が収められている[ 2] 。 ヴェイジー版には家系図、日記に登場する人物たちの簡単な伝記、ターナーが読んだとして言及している書物の一覧なども収められている[ 5] 。定期刊行物であった『Sussex Archaeological Collections 』は、1859年 に、日記からの抜粋を掲載した。日記のテキストは、現在はパブリックドメイン にあり、オンラインで読むことができる[ 6] 。現存する111冊の手書き原本は、イェール大学 のスターリング記念図書館 (英語版 ) に所蔵されている[ 7] 。
ヴェイジー版には、ターナーによって作成された帳簿や、非嫡出子の父親を証明する書類 (bastardy bonds) など、イースト・サセックス文書館 (East Sussex Record Office)(後のThe Keep, Brighton )から得られた数点の文書も収録されている[ 8] [ 9] 。
後年
イースト・ホースリーのトマス・ターナー・ドライブ。
ターナーは、1765年 6月19日 にメアリ・ヒックス(Mary Hicks、1735年 – 1807年)と再婚したが、その数週間後に日記を付けるのを止めてしまう[ 2] 。最後の日付となった7月31日 の日記にターナーは、「私は、再び、少し落ち着きはじめ、自分の選択に満足している (I begin once more to be a little settled and am happy in my choice)」と記した[ 10] 。
再婚後の歳月、ターナーは心地よい生活を送ることができた。彼は店を買い、新たに土地や、イースト・ホースリーで一番のパブ を買った[ 2] 。夫妻の間には、娘ひとりと息子6人の合わせて7人の子どもたちが生まれた。そのうち20歳を過ぎるまで生き延びたのは3人だけであった。
ターナーは1793年 2月6日 に死去し、2月11日 にイースト・ホースリーの教会敷地内に埋葬された[ 2] 。墓標は、教会の向かって右側、Clements Room の近く、息子であるフィリップ・ターナー (Philip Turner) とその家族の箱形の墓 (table tomb) の前にある。そこには、やはりターナーの息子たちであるピーター (Peter) とフレデリック (Frederick)、妻メアリ・ターナーの墓もある。ターナーの家には、記念のプラークが取り付けられている。
脚注
^ Vaisey, David, ed (1994). Diary of Thomas Turner, 1754-1765 . East Hoathly: CTR Publishing. pp. 324–325. ISBN 0-9524516-0-3
^ a b c d e f g h i j k l m n o Vaisey, David (2004). "Turner, Thomas (1729–1793), diarist and shopkeeper " . Oxford Dictionary of National Biography . Oxford: Oxford University Press. doi :10.1093/ref:odnb/48266 . 2010年1月16日閲覧 。
^ Vaisey, David, ed (1994). Diary of Thomas Turner, 1754-1765 . East Hoathly: CTR Publishing. p. 4. ISBN 0-9524516-0-3
^ Vaisey, David, ed (1994). Diary of Thomas Turner, 1754-1765 . East Hoathly: CTR Publishing. p. 347. ISBN 0-9524516-0-3
^ Vaisey, David, ed (1994). Diary of Thomas Turner, 1754-1765 . East Hoathly: CTR Publishing. pp. 324–53. ISBN 0-9524516-0-3
^ Blencowe, R.W.; Lower, M.A. (1859). “Extracts from the diary of a Sussex tradesman, a hundred years ago” . Sussex Archaeological Collections 11 : 179–220. OCLC 1608099 . https://archive.org/details/sussexarchaeolo32socigoog .
^ "Thomas Turner Papers". Manuscripts and Archives, Yale University Library. hdl :10079/fa/mssa.ms.0509
^ Vaisey, David, ed (1994). Diary of Thomas Turner, 1754-1765 . East Hoathly: CTR Publishing. p. 11. ISBN 0-9524516-0-3
^ “E.S.R.O., Overseers' account book (PAR 378/31/1/1), June 1761 - April 1779 ”. 2010年1月20日 閲覧。
^ Vaisey, David, ed (1994). Diary of Thomas Turner, 1754-1765 . East Hoathly: CTR Publishing. p. 323. ISBN 0-9524516-0-3
関連文献
Blencowe, R.W.; Lower, M.A. (1859). “Extracts from the diary of a Sussex tradesman, a hundred years ago” . Sussex Archaeological Collections 11 : 179–220. OCLC 1608099 . https://archive.org/details/sussexarchaeolo32socigoog .
Davey, Roger (2000). “The origins of Thomas Turner” . Sussex Archaeological Collections 138 : 191–219. http://ads.ahds.ac.uk/catalogue/library/sac/v138.cfm .
Davey, Roger (2004). “The birth date of Thomas Turner” . Sussex Archaeological Collections 142 : 150. http://ads.ahds.ac.uk/catalogue/library/sac/v142.cfm .
Dickens, Charles (1861). “Thomas Turner's Back Parlour” . All the Year Round 5 : 45–48. https://books.google.co.jp/books?id=Bd0NAAAAQAAJ&dq=editions:4m0HAQAAIAAJ&pg=PA45&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false .
Tadmor, N. (1996). “The concept of the household-family in eighteenth-century England” . Past & Present 151 (1): 111–140. doi :10.1093/past/151.1.111 . http://past.oxfordjournals.org/cgi/reprint/151/1/111 .
Tadmor, Naomi (1996). “Chapter 9: 'In the even my wife read to me': women, reading and household life in the eighteenth century”. In Raven, James; Small, Helen; Tadmor, Naomi. The Practice and representation of reading in England . Cambridge: Cambridge University Press. pp. 162–174. ISBN 978-0-521-48093-2
Tadmor, Naomi (2001). Family and friends in eighteenth-century England: household, kinship, and patronage . Cambridge, U.K.: Cambridge University Press. ISBN 0-521-77147-1
Worcester, Dean K. (1948). The life and times of Thomas Turner of East Hoathly . Yale University Press
外部リンク