ドリス・トロイ (Doris Troy 、1937年 1月6日 - 2004年 2月16日 )[ 1] [ 2] は、アメリカ合衆国 のR&B 歌手、ソングライター。多くのファンに「ママ・ソウル」として知られている。
彼女の最大のヒット曲は「ジャスト・ワン・ルック 」で、1963年のトップ10ヒットとなった。ピンク・フロイド のアルバム『狂気 』(1973年)に参加した4人の女性バックコーラスの1人でもあった。
経歴
ニューヨーク市 ブロンクス 生まれ。本名はドリス・エレイン・ヒギンセン[ 1] 。父はバルバドス 系のペンテコステ派 の牧師 [ 3] 。後に祖母の姓を名乗り、ドリス・ペイン(Doris Payne)として育つ[ 4] 。両親はリズム・アンド・ブルース のような「反体制的」な音楽を認めなかったため、彼女は父親の聖歌隊 で歌い始めた。
16歳の時、アポロ・シアター で案内係として働き[ 5] 、そこでジェームス・ブラウン に見出された[ 6] 。ドリス・ペインの名前で作曲を始め、1960年にディー・クラーク のヒット曲「How About That」[ 7] で100ドルを稼いだ[ 3] [ 5] 。
レコード業界に入ったトロイは、アトランティック・レコード でディオンヌ・ワーウィック と妹のディー・ディー・ワーウィック と並んでバックアップ・ボーカリストとして活躍した。1963年にはシシー・ヒューストン 、ヒューストンの姪にあたるワーウィック姉妹と共に、スウィート・インスピレイションズ のオリジナル・ラインナップの1人になった。「トロイのヘレネー 」から芸名を取ってドリス・トロイと名乗り、ソロモン・バーク 、ドリフターズ 、ヒューストン、ディオンヌ・ワーウィックのバック・ボーカルを歌った。
彼女はドリス・ペインの名前で「ジャスト・ワン・ルック」を共作して、1962年10月、プロデューサーのバディ・ルーカスと共にデモとして10分で録音した[ 8] 。これを聴いたアトランティック・レコード は再録音せずに1963年にデモ録音をドリス・トロイの名義でシングル発表したところ[ 9] 、Billboard Hot 100 で10位になった。同曲は彼女にとってアメリカでの唯一のヒットになり、ホリーズ 、リンダ・ロンシュタット 、アン・マレー 他多くのアーティストにカバーされている。
1969年、ロンドンに移住してビートルズ のアップル・レコード と契約[ 10] [ 注釈 1] 。翌年、ジョージ・ハリスン との共同プロデュースによるアルバム『ドリス・トロイ 』をリリースした[ 注釈 2] 。1974年、アメリカに戻り、カジノやナイトクラブで演奏するようになった。
ソロ・キャリアがピークに達しても、彼女は様々なアーティストやバンドのバックコーラス を歌い続けた。代表例にはローリング・ストーンズ の「無情の世界 」[ 2] [ 11] (1969年)、ピンク・フロイド の『狂気 』[ 2] (1973年)、カーリー・サイモン の「うつろな愛 」[ 12] (1972年)がある。さらに彼女はハンブル・パイ 、ケヴィン・エアーズ [ 13] 、エドガー・ブロートン[ 13] 、ジョージ・ハリスン 、ジョニー・アリディ 、ヴィヴィアン・スタンシャル、ダスティ・スプリングフィールド [ 6] 、ニック・ドレイク 、ジュニア・キャンベルの為にも歌った。
ミュージカル『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング 』(1983年)は彼女の人生に基づいており[ 2] 、ニューヨークの人気ラジオ・パーソナリティである妹ヴァイ・ヒギンセン によって制作された。スパニッシュ・ハーレム のヘクシャー劇場で1,500回にわたって上演され、彼女は母親ジェラルディンを演じた。2009年には映画化され、2012年にDVD『ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング 』としてリリースされた[ 14] [ 15] 。
2004年、ネバダ州ラスベガス の自宅にて肺気腫 により67歳で亡くなった[ 2] 。
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
『ジャスト・ワン・ルック』 - Just One Look (1963年)[ 注釈 3] [ 16] [ 17]
『ドリス・トロイ』 - Doris Troy (1970年)
Stretchin' Out (1974年)[ 18]
ライブ・アルバム
Rainbow Testament (1972年)
コンピレーション・アルバム
Just One Look - The Best Of Doris Troy (1994年)
『アイル・ドゥ・エニシング : アンソロジー1960-1996』 - I'll Do Anything - The Doris Troy Anthology 1960-1996 (2011年)
脚注
注釈
^ シンガーとしての契約とソングライターとしての契約を結び、オフィスとピアノを与えられた。
^ ハリスン、リンゴ・スター 、ビリー・プレストン 、アラン・ホワイト など、アップル・レコードに所属するミュージシャンが参加した。
^ 1975年にDoris Troy Sings Just One Look & Other Memorable Selectionsとして再発された。
出典
^ a b Roberts, David (2006). British Hit Singles & Albums (19th ed.). London: Guinness World Records Limited. p. 567. ISBN 1-904994-10-5
^ a b c d e Sisario, Ben (February 19, 2004). “Doris Troy, Pop Singer Whose Life Inspired a Show, Dies at 67” . The New York Times . https://www.nytimes.com/2004/02/19/arts/music/19TROY.html March 9, 2015 閲覧。
^ a b “Doris Troy” . The Telegraph . (February 20, 2004). ISSN 0307-1235 . https://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/1454837/Doris-Troy.html March 30, 2019 閲覧。
^ “Doris Troy ”. soulfulkindamusic.net . March 31, 2019 閲覧。
^ a b Sweeting, Adam (February 20, 2004). “Obituary: Doris Troy” . The Guardian . ISSN 0261-3077 . https://www.theguardian.com/news/2004/feb/20/guardianobituaries.artsobituaries1 March 30, 2019 閲覧。
^ a b “Doris Troy – Apple Records ”. applerecords.com. March 9, 2015 閲覧。
^ “Discogs ”. 2024年7月27日 閲覧。
^ Bernard "Pretty" Purdie, Let The Drums Speak!, 2014 pages 69–70.
^ “Discogs ”. 2024年7月27日 閲覧。
^ Norman, Philip (2023). George Harrison: The Reluctant Beatle . Simon & Schuster. p. 318. ISBN 978-1-3985-1341-9
^ “R&B star Doris Troy dead at 67 ”. CNN (February 19, 2004). March 30, 2019 閲覧。
^ “Troy, Doris | Encyclopedia.com ”. www.encyclopedia.com (2004年). March 31, 2019 閲覧。
^ a b “Doris Troy – Credits ”. AllMusic. March 9, 2015 閲覧。
^ “MAMA, I WANT TO SING! Ciara, Patti LaBelle, Lynn Whitfield & Hill Harper Hit All the Right Notes on DVD February 14 ”. www.prnnewswire.com. 9 March 2015 閲覧。
^ “imdb.com ”. 2024年7月27日 閲覧。
^ “Discogs ”. 2024年7月24日 閲覧。
^ “Discogs ”. 2024年7月27日 閲覧。
^ “Doris Troy Discography ”. AllMusic. 2022年2月20日 閲覧。
外部リンク