ニュー・ラナーク
ニュー・ラナークはスコットランド・サウス・ラナークシャーの都市ラナークから約 2.2 km のところに位置するクライド川沿いの村である。 概要ニュー・ラナークの起源は、1786年にデヴィッド・デイル(David Dale)が綿紡績工場や工場労働者用の住宅を建設したことである。デイルがその場所に工場を建てたのは、川の水力をうまく活用するためだった。デイルの娘婿であった博愛主義者で社会改良主義者のロバート・オウエンも名を連ねていた共同所有のもとで、ニュー・ラナークはソーシャルビジネスにより事業的にも成功を収め、いわゆるユートピア社会主義を体現する存在となった。 ニュー・ラナークの工場は1968年まで操業していた。衰退期を経て、1975年に村の取り壊しを防ぐためにニュー・ラナーク保全トラスト(New Lanark Conservation Trust)が創設された。2006年現在で村の建造物のほとんどが修繕され、村はスコットランドの観光名所となっている。この村はまた、スコットランドに4つある世界遺産のひとつであり、ヨーロッパ産業遺産の道のアンカー・ポイントのひとつである。 歴史ニュー・ラナークの紡績工場は1786年にデヴィッド・デイルによって設立された。デイルはグラスゴーのたたき上げの中産的ジェントリの一人であり、その例に漏れずキャンバスラング(Cambuslang)のローズバンクに避暑地となる土地を持っていた。そこはターナーをはじめとする多くの画家たちが描いたクライドの滝(Falls of Clyde)から遠くないところにあった。 デイルは工場、土地、村落を19世紀初頭に6万ポンド(20年以上にわたり払い戻し可能)で、義理の息子のロバート・オウエンも名を連ねていた協同組合に売却した。オウエンは工場労働には義父の博愛主義的なアプローチを維持し、後には影響力のある社会改良主義者となった。彼の社会福祉プログラムとともに、ニュー・ラナークはオウエン的なユートピア社会主義を体現する存在となった。 ニュー・ラナークの工場群は水力に依存していた。ニュー・ラナークの上流にはダムが建設され、そこから流れ出す水が工場の機械を動かした。水は最初トンネルを潜り抜け、しかる後に開かれた水路に出て工場ごとに据え付けられた多くの水車を回したのである。そうした光景は、最後の水車が水力タービンに付け替えられた1929年まで見られた。水力そのものは今でも使われている。新しい水力タービンが第三工場(Mill Three)に据え付けられており、村の観光客向けのエリアに電力を供給するために使われている。 オウエンの時代にはおよそ2500人がニュー・ラナークに住んでいたが、その多くはグラスゴーやエディンバラの救貧院の出身者だった。労働者たちは群を抜いて過酷な境遇にあったというわけではなかったが、オウエンはその環境に満足せず、労働者たちの改善を決意した。彼は子供たちに格段の注意を払った。当時のニュー・ラナークには500人ほどの子供が暮らし、町の一角は「ナーサリー・ビルディングス」(Nursery Buildings)と呼ばれていた。子供たちは工場で働いていたが、オウエンは彼らのためにイギリスで初となる幼児学校(infant school)を1816年に創設した。 工場群は商業的に成功したが、オウエンの福利プログラムによって彼のパートナーたちは余計な出費を強いられた。オウエンは旧来の操業に戻すことをよしとせず、パートナーたちの権利を買い取った。 ニュー・ラナークの名声はヨーロッパ中に伝わり、王族、政治家、社会改良主義者らが多く訪れた。彼らはその清潔で衛生的な工業環境、満足して活力にあふれた労働者、全員が力を合わせて作り上げた成功したベンチャービジネスの姿を目にして驚嘆した。オウエンの哲学は当時の思想とは対極のものであったが、彼は実際に労働者を劣悪な境遇に置かずとも利益をあげられることを示したのである。オウエンは訪問者たちに町の優れた住居や公共施設、さらには工場の収益性を示す会計書類を示すことができた。 ニュー・ラナークの工場群は社会改良主義、社会主義、福利厚生などと密接に結びついていたが、同時にそれは18世紀から19世紀にイギリスで興り世界の姿を根底から変えた産業革命を代表するもののひとつでもある。 1825年にニュー・ラナークの経営権はウォーカー(Walker)家に移った。ウォーカー家は1881年までそこを経営したが、その年にバークマイア(Birkmyre)とサマーヴィル(Sommerville)に売却された。彼らとその後継企業は、1968年に工場群が閉鎖されるまで村の経営に携わった。 工場が閉鎖されると人々は離村し始め、建造物群も劣化していった。1963年に住宅組合としてニュー・ラナーク組合(New Lanark Association)が発足し、ケースネス・ロウ(Caithness Row)とナーサリー・ビルディングスの修復が始まったが、工場群をはじめとする産業施設や、デイルやオウエンが暮らした住居群は、1970年に屑鉄企業のメタル・イクストラクション社(Metal Extractions Limited)に売却された。1974年には村の風化を避けるためにニュー・ラナーク保全トラスト(the New Lanark Conservation Trust, NLCT)が発足し、1983年にはメタル・イクストラクション社に対して産業施設群の修復を目的とする強制収用の命令が適用された。現在、それらの産業施設群は保全トラストの管理下にある。2005年までにほとんどの建造物が修復されたニュー・ラナークは一大観光地となっている。 居住状況19世紀半ばには家族全員が一部屋の中で暮らしていた。そんな居住条件の感覚は、ブランタイア(Blantyre)のデイヴィッド・リヴィングストン・センター(David Livingstone Centre)を訪れることでいくらか掴むことができる。ニュー・ラナークを設立したデヴィッド・デイルも、ブランタイアの工場に関わりを持っていた。ブランタイアには居住ブロック(tenement row)が一棟だけ現存しており、博物館として使われている。博物館は専ら1813年にブランタイアで生まれたデイヴィッド・リヴィングストンに捧げられたものではあるが、子供用の脚輪付きベッドなども含めて一部屋での居住状況が再現されているのだ。この状況はリヴィングストンも知っていたものであり、ニュー・ラナークにも見出されていたものである。デヴィッド・リヴィングストン・センターは、ニュー・ラナークからは道沿いに 30 km ほどのところにあり、グラスゴーとハミルトン(Hamilton)の間にあたっている。 ニュー・ラナークでの生活状況は次第に改善していき、20世紀初頭までには複数の部屋に住まうようになっていた。1933年までは室内に給水栓や流し台は備わっていなかったが、その年を境に屋外にあった共用トイレも室内のものに取って代わられた。 1898年からは村の経営者は全戸に無料の電力供給を行うようになったが、それは各部屋の蛍光灯一本を点けるのにやっとだった上、毎晩10時には切れた(土曜のみは11時まで)。1955年にニュー・ラナークは英国の送電網(National Grid)に接続された。 今日のニュー・ラナークニュー・ラナークを訪れる観光客は、毎年40万人を超えていると見積もられている。これには、2007年時点でスコットランドには4つしかない世界遺産のひとつと認められていることが大きい。 ニュー・ラナークにはおよそ200人が今でも暮らしている。居住用の建造物の中ではマンティラ・ロウとダブル・ロウのみが修復されている。修復の中にはニュー・ラナーク組合や保全トラストが引き受けたものもある。ブラックスフィールド・ロウ全体とロング・ロウの大半の修復は、廃屋と化していたそれらを買い取って個人宅として修復した私人たちによるものである。村には20軒の持ち家に加えて、ニュー・ラナーク組合から見逃されている45軒の借家がある。組合自身も村にはいくつかの建物を保有しているが、ダブル・ロウの修復とマンティラ・ロウの再建をしなかったことを批判されている。 歴史的な真正性を維持するためには多大な労力が投入されている。村内にはテレビアンテナもパラボラアンテナも設置を認められておらず、電話、テレビ、送電といったサービスは埋設ケーブルを通じて行われている。一貫した外観を呈するために、全ての外装は木造の白塗りで、ドアや窓も一貫したデザインに沿うものとなっている。かつて世帯主は犬を飼うことも禁止されていたものだが、この規制はもはや強制力を失っている。 保全トラストは広告看板を導入したほか、第三工場とエンジン・ハウスをつなぐガラス製の橋を設置したが、こういった代物には批判も寄せられている。村の広場に1924年型の赤い電話ボックスがあるのにも、不適切ではないかと議論がある。 現在、工場群、ホテル、非居住型の建造物の大半は保全トラストが保有・運営している。 建造物群
観光村外れには観光客用の巨大な無料駐車場がある。2kmほど離れたラナークからはバスが運行している。ラナークとグラスゴーの間には30分に1本の割合で鉄道が運行している。 村には保全トラストが運営する三ツ星ホテルであるニュー・ラナーク・ミル・ホテルがあるほか、ユースホステルなどもある。村内には観光案内所、店舗、レストランなどもそろっている。 村には長く続くクライド遊歩道(Clyde walkway)が通っており、工場建築物群の中には、クライド滝自然保護区(the Falls of Clyde Nature reserve)のためにスコットランド野生生物トラスト(Scottish Wildlife Trust)が運営している案内所もある。 登録基準この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
参考文献
外部リンクInformation related to ニュー・ラナーク |