ノン・スタンダードノン・スタンダード(NON-STANDARD)は1984年7月24日に細野晴臣とテイチク株式会社(当時)が業務提携して設立したレコードレーベルである。1987年まで機能していた。ここでは同時期に細野とテイチクが設立し実質的に細野の個人レーベルとなったモナド(MONAD)についても述べる。 概要当時のテイチク社長であった南口重治の「夢枕に細野が現れた」との“鶴の一声”により、YMOを散開して間もない細野晴臣を招聘。「業務提携」として記者発表会が催され細野・南口両者が出席した。「ノン・スタンダード」、「モナド」のレーベル名は1960年代に確立した数学の先端分野、解析学における超準解析(細野は「非標準解析」という訳語を用いていた)に因んだものだが、モナドには「存在を説明するための哲学上の概念」としての側面も存在する。レーベルのコンセプトはノン・スタンダードが「多くの人々に支持されながらも作り手側の感覚が標準化されていない音楽」、モナドは「一切の制約を受けずに非標準的な音楽作りを目指す」であった。このコンセプトに沿って細野は自身の作品を発表する一方、才能ある新人や若手の作品を発表する場とし、レーベル全体のプロデュースは細野が、制作のディレクションとエグゼクティブ・プロデュースは主に牧村憲一とかつてYMOのマネージャーでもあった伊藤洋一が担当していた。高橋幸宏がプロデュースを手がけた作品もある。1984年11月10日、細野晴臣の12インチ・シングル「Making of NON-STANDARD MUSIC」からリリースが開始された。7インチシングルのヒットを要求される歌謡曲や芸能界畑からのアプローチには積極的に応じなかったことや、「演歌のテイチク」故に宣伝に苦労したことなどもあり大きな商業的成功を収めることはなかった。1986年秋のテイチク決算役員会で創業者一族である南口の社長退任が決定、1987年にはBLUE TONICの『Moods for Modern』等のリリースこそあったもののレーベルとしての実質的な制作活動は停止していた。これによりノン・スタンダードと同様に新人や若手のリリースを計画していたモナドは細野による4タイトル以外のリリースは無かった。 評価実質2年半程の期間で終了し商業的にも成功したとは言い難い両レーベルであったが、ノン・スタンダードから作品をリリースしたグループには後の日本の音楽シーンに大きな影響を与えたミュージシャンが数多く在籍しており、その多くが現在音楽プロデューサーとして活躍している。細野自身はノン・スタンダードの看板を背負う立場でのソロ作品を制作する一方、モナドレーベルにおいては後に自身が傾倒していくワールドミュージックや環境音楽の手法の提示が見られる。ディレクターであった牧村はポリスターへ移籍、後に渋谷系のムーブメントの中心人物としてそのセンスと手腕に大きな注目が集まったことなどもあり、レーベル全体に対する再評価は年々高まる傾向にある。2001年にはノン・スタンダードの主要作品10タイトル及びモナドの4タイトルの復刻版CDがリリースされた。 所属アーティスト
主要リリース作品
MONAD
参考文献
脚注外部リンク
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