ハロルド・エベレット・"ハル"・グリア (Harold Everett "Hal" Greer, 1936年6月26日 - 2018年4月14日) は、アメリカ合衆国・ウェストバージニア州ハンティントン出身の元プロバスケットボール選手である。プロバスケットリーグNBAのフィラデルフィア・セブンティシクサーズが前身のシラキューズ・ナショナルズの頃よりセブンティシクサーズひと筋で活躍した。
身体が小さいながらシューティングガードとしてアウトサイドからのジャンプシュートは高い成功率を誇り、ゴール下を支配したウィルト・チェンバレンとともにセブンティシクサーズの1967年の優勝の原動力となった。1982年にバスケットボール殿堂入りした。
経歴
カレッジ時代
ハルはウェストバージニア州で生まれ、地元のダグラス高校に入学、バスケットを始める。大学も生まれ故郷のハンティントンのマーシャル大学に入学し、その得点力でチームを牽引し、1958年にはカンファレンスのMVPに選出される。在学中の3年間で計71ゲームに出場し、トータル得点1,377ポイント(ゲーム平均19.4ポイント)・トータルリバウンド765(ゲーム平均10.8リバウンド)・フィールドゴール成功率55%という成績を記録している。[1]
NBAプレーヤー時代
ハルはカレッジ卒業後の1958年にNBAドラフト2巡目6位でシラキューズ・ナショナルズ(76ers)にピックアップされ入団する。彼が入団した当時ナショナルズは強豪チームでありプレーオフの常連でもあった。そのため彼は目立った活躍は出来ず、ルーキーシーズンは、ゲーム平均11.1ポイント・2.9リバウンド・1.5アシストを記録した[1]。チームはプレーオフに進出するが、1955年の優勝以来NBAファイナルにまではなかなか届かなかった。
その後、1963年にチームが本拠地をフィラデルフィアに移し、名称もセブンティシクサーズ (76ers) と改める。1965年にはトレードでウィルト・チェンバレンを獲得。大型センターの加入でハルの持ち味がさらに引き出され、1966年には55勝をあげて地区優勝を果たす。ハルはゲーム平均22.7ポイント・5.9リバウンド・4.8アシストを記録した。翌1967年にはさらに躍進し、68勝をあげる。彼はこの年ゲーム平均22.1ポイント・5.3リバウンド・3.8アシストを記録して地区優勝に貢献した。チームも念願のNBAファイナルを制覇しハルはリングを手に入れた。1968年にも62勝をあげて地区優勝し、ハルもキャリアハイとなるゲーム平均24.1ポイント・5.4リバウンド・4.5アシストを記録した。またこの年にはNBAオールスターゲームの最優秀選手 (MVP) にも選出された。[1]
その後も3年連続でプレーオフ進出は果たすが、ハルの衰えとともにチームも衰退し、ハルは1973年に76ersひと筋15年間の選手生活から引退した。引退後、1982年に殿堂入りし、また1996年にはNBAの50周年を記念して選ばれた「NBA偉大な50選手」の一人にも選出された。
個人成績
レギュラーシーズン
シーズン
|
チーム
|
GP
|
MPG
|
FG%
|
FT%
|
RPG
|
APG
|
PPG
|
1958–59
|
SYR
|
68
|
23.9
|
.454
|
.778
|
2.9
|
1.5
|
11.1
|
1959–60
|
70
|
28.3
|
.476
|
.783
|
4.3
|
2.7
|
13.2
|
1960–61
|
79
|
35.0
|
.451
|
.774
|
5.8
|
3.8
|
19.6
|
1961–62
|
71
|
38.1
|
.447
|
.819
|
7.4
|
4.4
|
22.8
|
1962–63
|
80
|
32.9
|
.464
|
.834
|
5.7
|
3.4
|
19.5
|
1963–64
|
PHI
|
80
|
39.5
|
.444
|
.829
|
6.1
|
4.7
|
23.3
|
1964–65
|
70
|
37.1
|
.433
|
.811
|
5.1
|
4.5
|
20.2
|
1965–66
|
80
|
41.6
|
.445
|
.804
|
5.9
|
4.8
|
22.7
|
1966–67†
|
80
|
38.6
|
.459
|
.788
|
5.3
|
3.8
|
22.1
|
1967–68
|
82
|
39.8
|
.478
|
.769
|
5.4
|
4.5
|
24.1
|
1968–69
|
82
|
40.4
|
.459
|
.796
|
5.3
|
5.0
|
23.1
|
1969–70
|
80
|
37.8
|
.455
|
.815
|
4.7
|
5.1
|
22.0
|
1970–71
|
81
|
37.8
|
.431
|
.805
|
4.5
|
4.6
|
18.6
|
1971–72
|
81
|
29.8
|
.449
|
.774
|
3.3
|
3.9
|
11.8
|
1972–73
|
38
|
22.3
|
.392
|
.821
|
2.8
|
2.9
|
5.6
|
通算
|
1122
|
35.5
|
.452
|
.801
|
5.0
|
4.0
|
19.2
|
オールスター
|
10
|
20.7
|
.461
|
.703
|
4.5
|
2.8
|
12.0
|
プレーオフ
年度
|
チーム
|
GP
|
MPG
|
FG%
|
FT%
|
RPG
|
APG
|
PPG
|
1959
|
SYR
|
9
|
30.8
|
.419
|
.813
|
5.2
|
2.2
|
11.6
|
1960
|
3
|
28.0
|
.512
|
.750
|
4.7
|
3.3
|
15.7
|
1961
|
8
|
29.0
|
.387
|
.825
|
4.1
|
2.4
|
14.4
|
1962
|
1
|
5.0
|
–
|
–
|
0.0
|
0.0
|
0.0
|
1963
|
5
|
42.8
|
.506
|
.829
|
5.4
|
4.2
|
23.4
|
1964
|
PHI
|
5
|
42.2
|
.389
|
.846
|
5.6
|
6.0
|
21.4
|
1965
|
11
|
45.9
|
.455
|
.793
|
7.4
|
5.0
|
24.6
|
1966
|
5
|
45.2
|
.352
|
.783
|
7.2
|
4.2
|
16.4
|
1967†
|
15
|
45.9
|
.429
|
.797
|
5.9
|
5.3
|
27.7
|
1968
|
13
|
42.5
|
.432
|
.856
|
6.1
|
4.2
|
25.8
|
1969
|
5
|
40.8
|
.321
|
.778
|
6.0
|
4.6
|
16.0
|
1970
|
5
|
35.6
|
.446
|
.846
|
3.4
|
5.4
|
15.4
|
1971
|
7
|
37.9
|
.438
|
.750
|
3.6
|
4.7
|
17.9
|
通算
|
92
|
39.6
|
.425
|
.812
|
5.5
|
4.3
|
20.4
|
通算成績
得点、リバウンド、アシストの成績は下記の通りである。[1]
|
レギュラーシーズン (15シーズン)
|
プレーオフ (13シーズン)
|
1,122試合総計
|
ゲーム平均
|
40分平均
|
92試合総計
|
ゲーム平均
|
ポイント数
|
21,586
|
19.2
|
21.7
|
1,876
|
20.4
|
リバウンド数
|
5,665
|
5.0
|
5.7
|
505
|
5.5
|
アシスト数
|
4,540
|
4.0
|
4.6
|
393
|
4.3
|
- セブンティシクサーズ通算得点フランチャイズ記録:21,586ポイント
- セブンティシクサーズ出場試合数フランチャイズ記録:1,122ゲーム
関連項目
脚注
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
ハル・グリアに関連するカテゴリがあります。
関連項目 |
---|
|
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
|