1987年、デビュー・アルバム『YO!BUM ラッシュ・ザ・ショウ』を発表した。さらに1988年、シングル「Don't Believe the Hype」を含むセカンド・アルバム『パブリック・エナミーII (It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back)』を発表し、前作より好調なアルバム・チャート・アクションを獲得した。またPEは「ザ・グラント」「ブロウ・ユア・ヘッド」などJBsの曲を元ネタに使用している[4]
彼らはさらに、1990年にサード・アルバム『フィアー・オブ・ア・ブラック・プラネット』をリリース。このアルバムは、2008年現在、彼らのアルバムの中で最も売れたアルバムであり、アメリカ国会図書館の重要保存録音物として永久保存されている。収録されているシングル曲には、救急車が黒人地区においては、白人地区よりも遅く到着することを批判した「911 is a Joke」や、PE自身のことを歌ったと考えられている「Fight the Power」がある。この曲はスパイク・リーが監督した映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』のテーマ曲でもあった。
パブリック・エナミーはニュースクール・ラップのルーツだった。例えばターミネーターXは、「Rebel Without A Pause」で聴くことができるように、スクラッチをより洗練されたテクニックに昇華させたし、プロデューサーユニットのボム・スクワッド(The Bomb Squad)は斬新なサンプリングやビートを提示した。批評家のスティーヴン・トーマスは「(PEは)プロデューサーチームのボム・スクワッドを通じてフリー・ジャズやハードファンク、さらにはミュジーク・コンクレートの要素さえも取り込んで、前例のないようなぎっしりとした凶暴なサウンドを作り上げた」と評した。また、ラップの面においても、PEは政治的・社会的あるいは文化的な意識を、歌詞にのせた。
人気は落ちたが、PEはパフォーマンスや創作を続けている。ターミネーターXは早めの引退をして、アトランタ出身のDJロードがグループのメインDJになった。チャックDとプロフェッサー・グリフはファンク・ロックバンド、コンフロンテーション・キャンプ (Confrontation Camp)のメンバーも務めている。チャックDの講義「ラップ、人種、現実と技術」は彼が参加しているグループ、ファイン・アーツ・ミリティア(Fine Arts Militia)のアルバム『Fine Arts Militia』(別名『We Are Gathered Here』)の歌詞のもとになった。
2005年9月にフレイヴァーはPEに戻り、ハリケーン・カトリーナに対する政治的な(特にブッシュ政権の)問題を批判した「Hell No We Ain't All Right」を録音した。2006年年頭には、パリスによってプロデュースされた15曲を含む最新作『リバース・オブ・ア・ネイション』がリリースされた。2013年には、PEはロックの殿堂入りを果たした。
論争
PEは、戦闘的なブラックパワー運動のS1W(Security of the First World)と連携していることでも有名である。また、メンバーのプロフェッサー・グリフは反ユダヤ発言(世界の邪悪な出来事は全てユダヤ人が起こしている)などの発言をおこなった。彼は反ユダヤ主義を否定し発言を謝罪したが、批判はやまずグループから追放された[5]。PE自体もFBIによる議会へのレポート「ラップミュージックとその国家安全保障への影響」に挙げられることになった。こういった出来事やシングル曲「Swindler's Lust」の内容が原因で、PEは反中傷連盟(Anti-Defamation League)から批判されることになる。しかし、PEやファンの大部分はホロコーストを矮小化する意図はなく、奴隷制度がホロコーストに比肩するものであることを主張しただけだと弁護している。