この項目では、ロックバンドのフォリナーについて説明しています。
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外国人(英 foreigner)については「外国人 」をご覧ください。
フォリナー (Foreigner )は、イギリス人とアメリカ人からなるアメリカ合衆国 で結成されたロックバンド 。
1970年代 後半に始まった産業ロックのアメリカ版である、「スタジアム・ロック 」で大成功を収めたバンドの一つ。アルバム総セールスは8000万枚以上を記録した。ミック・ジョーンズ 、ルー・グラム を中心とした英国人・米国人混合グループである。
概要
バンドのロゴ
[ 6]
バンド名「フォリナー (=外国人)」は、英米が混在するメンバー構成を由来とする。活動初期はハードロック やアメリカン・プログレ・ハード のジャンルに含まれた。ブリティッシュ・ロックのフリー やバッド・カンパニー をMOR的にしたポップなサウンドで、デビュー当初から大成功を収めた。
1980年代 初頭から、AOR 的なサウンドに変化し、バラード 曲をメインとして、1980年代の音楽市場でも、莫大な利益を上げた。その大きなセールスをもたらした商業主義的手法が、ジャーニー やスティクス らとともに、スタジアム・ロック (産業ロック)の典型として挙げられることも多い。
略歴
創設メンバー(左)アル・グリーンウッドと(右)イアン・マクドナルド (2009年)
1970年代後半
[ 7]
1976年 ニューヨーク にて、元マウンテンの「レスリー・ウェスト・バンド 」で活動していたミック・ジョーンズ (元スプーキー・トゥース)や元「キング・クリムゾン 」のイアン・マクドナルド が、セッション仲間のデニス・エリオット(元イフ )に、ルー・グラム (元ブラック・シープ)、アル・グリーンウッド(元ストーム)、エド・ガリアルディのアメリカ人達と意気投合し、バンドを結成した。
彼らはロックバンド「Trigger」という暫定のバンド名で、デモテープを各社に持ち込み、大手レーベル「アトランティック・レコード 」と契約。名を「フォリナー 」と改めデビューした。フリーやバッド・カンパニーを水で薄めたようなサウンドではないかとの批判は、デビュー当初から付きまとった。
1977年 、1stアルバム『栄光の旅立ち 』を発表。全米チャート4位を記録し400万枚を突破、デビュー作から成功を手にした。シングル「衝撃のファースト・タイム 」[ 8] もヒットした。
1978年 リリースの2ndアルバム『ダブル・ヴィジョン 』が前作を上回る500万枚に達して全米チャート3位を記録し、シングルカットした表題曲「ダブル・ヴィジョン」が全米2位に上昇。同年に早くも初来日公演が実現する。
1979年 、音楽性の相違からエドが脱退して、リック・ウィルス (元スモール・フェイセス )に交代。3rdアルバム『ヘッド・ゲームス 』は全米チャート5位を記録し、300万枚の安定したセールスを維持した。
1980年代:ヒット連発
若き日のルー・グラム (1979年)
1980年 、次作の制作を開始する中、ミック・ジョーンズとルー・グラムの主導権が強くなり、不満を持ったイアン・マクドナルドやアル・グリーンウッドと対立。結局イアンとアルが脱退し、残る4人編成で活動を継続する[ 注釈 1] 。
1981年 、発表した4thアルバム『4 』が1500万枚以上の大ヒットとなり、全米チャートで10週連続1位を記録。翌年のアルバム年間チャートでは第3位を記録した。シングル「ガール・ライク・ユー 」も全米チャート10週連続2位を記録。翌1982年 に初のコンピレーション 作品『ベスト・オブ・フォリナー』をリリース。
1984年 、5thアルバム『プロヴォカトゥール (煽動) 』をリリースし、翌1985年 にシングル「アイ・ウォナ・ノウ 」が初の全米シングルチャート1位(2週連続)を獲得、年間チャートでも第4位を記録する。しかしこの時期をピークに、バラード曲スタイルのマンネリ化も進んでいた。ルーはバンドの今後を危惧するようになる。
1987年 、6thアルバム『インサイド・インフォメーション 』を発表した頃には、バラード路線を維持したいミックと反対するルーとの確執が表面化する。
1990年代:人気下降、ルー・グラム脱退
3年後の1990年 、ルーが正式に脱退し、代わりにジョニー・エドワーズ (ボーカル)が加入。翌1991年 に心機一転の7thアルバム『アンユージュアル・ヒート 』を発表するが、全米チャート100位以下の惨敗に終わる。
1992年 、今度はオリジナル・メンバーのデニス・エリオットと、リック・ウィルスという主力が脱退。そこでミックはルーと関係を改善してバンドに呼び戻し、新たに編成を組み直す。1994年 、8thアルバム『Mr.ムーンライト 』を発表。ここから暫くオリジナル・アルバムのリリースが途絶える。
1997年 、ルーが脳腫瘍 を患い活動が停滞する。手術を施して翌年に復帰するが、投薬やリハビリの影響もありパフォーマンスは芳しくなかった。
2000年代 に入り、ようやくルーの体調が回復して活動が活発化し、2002年 にはデビュー25周年に関連した多くの企画を実施した。そしてここを区切りに、翌年ルーが再び脱退する。これでオリジナル・メンバーはミックだけとなった。
2000年代以降〜ミック・ジョーンズ主導
2009年のグループショット
2004年 から2005年 にかけ、大幅なメンバーチェンジを実行する。新ボーカリストにケリー・ハンセン (元ハリケーン )が就任。ジェイソン・ボーナム (ドラムス)やジェフ・ピルソン(元ドッケン )といった著名なミュージシャンが加入した。そしてデビュー30周年に向け大々的なライブを企画。翌2006年 にライブ作品『Extended Versions』として発表した。
2007年 、14年ぶりの来日公演を開催。
2009年 、15年ぶりの9thアルバム『キャント・スロー・ダウン』をリリース。久々に全米チャートTOP30入りを果たした。以降はライブを主軸とした活動にシフトしていく。
2011年 、ブルース・ワトソン(ギター)が加入し、この時点で7人編成の大所帯となる。翌2012年 、ミックが心臓のバイパス手術を受けた[ 9] 。
2013年 、「ソングライターの殿堂」授賞式にて、殿堂入りしたミックとルーが10年ぶりに共演[ 10] 。
ドイツ・ヴァッケン公演 (2016年8月)
2014年 、オリジナル・メンバーのエド・ガリアルディが死去[ 11] 。同年、かつて大ヒットした4thアルバム『4』を完全再現したライブ作品『ザ・ベスト・オヴ・フォリナー4・ライヴ&モア』をリリースする[ 12] 。
2016年 、デビュー40周年を記念し、全40曲入りコンピレーション作品『40 -40ヒッツ・フロム・40イヤーズ ベスト・オブ・フォリナー』をリリース[ 13] 。またこの年、多くのライブフェスに参加した。
2017年 、結成40周年を記念した夏のスペシャル・ツアーに、クラシック・メンバーが参加の意向を示す[ 14] 。
2018年 11月9日 、「Double Vision:Then And Now」と題した、アルバム『ダブル・ヴィジョン』発表40周年記念ライブ・ツアーの初日を、現ラインナップとクラシック・ラインナップそれぞれのステージの後、全員参加のステージという構成で行った[ 15] 。
2022年 2月、創設メンバーのイアン・マクドナルドが75歳で死去[ 16] 。11月、最後となる北米ツアーをサポート・アクトにラヴァーボーイ を迎え、2023年7月から開始することを発表[ 17] 。
2024年 4月21日、米国・Rock & Roll Hall Of Fameより、『2024年度ロックの殿堂 パフォーマー部門』での殿堂入りが発表された[ 18] 。殿堂入りの対象メンバーは、ルー・グラム(ボーカル)、ミック・ジョーンズ(ギター)、デニス・エリオット(ドラムス)、エド・ガリアルディ(ベース)、アル・グリーンウッド(キーボード)、イアン・マクドナルド(キーボード)、リック・ウィルス(ベース)の7人[ 19] 。
メンバー
現ラインナップ
ケリー・ハンセン(Vo) 2016年
ミック・ジョーンズ(G) 2016年
トム・ギンベル(G) 2016年
ジェフ・ピルソン(B) 2016年
ブルース・ワトソン(G) 2016年
マイケル・ブルースタイン(Key) 2016年
クリス・フレイザー(Ds) 2016年
旧メンバー
イアン・マクドナルド (Ian McDonald) - ギター、キーボード、サクソフォーン (1976年–1980年) 2022年死去 元キング・クリムゾン
ルー・グラム (Lou Gramm) - ボーカル (1976年-1990年、1992年-2003年)
エド・ガリアルディ (Ed Gagliardi) - ベース (1976年-1979年) 2014年死去
アル・グリーンウッド (Al Greenwood) - キーボード (1976年-1980年)
デニス・エリオット (Dennis Elliott) - ドラムス (1976年-1992年) 元イフ
リック・ウィルス (Rick Wills) - ベース (1979年-1992年) 元スモール・フェイセス
ジョニー・エドワーズ (Johnny Edwards) - ボーカル、リズムギター (1990年-1992年)
ジェフ・ジェイコブス (Jeff Jacobs) - キーボード (1991年-2007年)
ブルース・ターゴン (Bruce Turgon) - ベース (1992年-2003年)
マーク・シュルマン (Mark Schulman) - ドラムス (1992年-1995年、2000年-2002年、2011年-2012年)
スコット・ジルマン (Scott Gilman) - リズムギター、サクソフォーン (1993年-1995年)
ロン・ウィクソ (Ron Wikso) - ドラムス (1995年-1998年)
ブライアン・ティッシー (Brian Tichy) - ドラムス (1998年-2000年、2007年-2012年)
デニー・カーマッシ (Denny Carmassi) - ドラムス (2002年-2003年)
チャズ・ウェスト (Chas West) - ボーカル (2004年-2005年)
ジェイソン・ボーナム (Jason Bonham) - ドラムス (2004年-2008年)
ポール・ミロービック (Paul Mirkovich) - キーボード (2007年-2008年)
ブライアン・ヘッド (Bryan Head) - ドラムス (2008年)
ジェイソン・サター (Jason Sutter) - ドラムス (2010年-2011年)
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
年
タイトル
アルバム詳細
チャート最高位
認定
US [ 20]
AUT [ 21]
CAN[ 22]
GER [ 23]
NOR [ 24]
NZ [ 25]
SWI [ 26]
UK [ 27] [ 28]
1977
栄光の旅立ち Foreigner
4
—
9
—
1
—
—
—
1978
ダブル・ヴィジョン Double Vision
発売日: 1978年6月20日
レーベル: Atlantic
全米売上: 700万枚[ 29]
3
—
3
—
—
32
—
32
1979
ヘッド・ゲームス Head Games
発売日: 1979年9月11日
レーベル: Atlantic
全米売上: 500万枚[ 29]
5
—
5
39
—
38
—
—
1981
4 4
発売日: 1981年7月2日
レーベル: Atlantic
全米売上: 600万枚[ 29]
1
—
2
4
—
19
—
5
1984
プロヴォカトゥール (煽動) Agent Provocateur
発売日: 1984年12月7日
レーベル: Atlantic
全米売上: 300万枚[ 29]
4
10
3
1
1
4
1
1
1987
インサイド・インフォメーション Inside Information
発売日: 1987年12月8日
レーベル: Atlantic
全米売上: 100万枚[ 29]
15
—
23
7
5
—
7
64
1991
アンユージュアル・ヒート Unusual Heat
発売日: 1991年6月14日
レーベル: Atlantic
117
30
50
—
18
—
8
56
1994
Mr.ムーンライト Mr. Moonlight
136
—
69
21
—
—
17
59
2009
キャント・スロー・ダウンCan't Slow Down
発売日: 2009年9月29日
レーベル: Rhino
29
58
—
16
—
—
26
105
"—"は未発売またはチャート圏外を意味する。
ライブ・アルバム
ほか
コンピレーション・アルバム
『ベスト・オブ・フォリナー 』 - Records (1982年)※全米10位
『ベリー・ベスト・オブ・フォリナー』 - The Very Best of Foreigner (1992年)※全英19位
『アンド・ビヨンド (ベスト・オブ) 』 - The Very Best... and Beyond (1992年)※全米123位
『ベスト・オブ・バラード』 - The Best of Ballads – I Want to Know What Love Is (1998年)※全米123位
Complete Greatest Hits (2002年)※全米80位
『ヴェリー・ベスト・オブ・フォリナー』 - The Definitive Collection (2006年)
『コンプリート・ベスト~ノー・エンド・イン・サイト』 - No End in Sight: The Very Best of Foreigner (2008年)
『40 -40ヒッツ・フロム・40イヤーズ ベスト・オブ・フォリナー』 - 40 (2017年)
ほか
シングル
同年年間チャート第4位。バンド唯一の全米No.1シングル。
日本公演
関連項目
脚注
注釈
^ インタビュー補足 あの時期はあまりにも忙しかった。だけどハッキリと覚えているのは
エレクトリック・レディ・スタジオ でフォリナーが『4』を製作していた事だ。僕らが『プライベート・アイズ』を製作したのと同時に彼らも製作をスタートさせていたんだ。ところが製作中にイアンとアルだけがスタジオに来て、2人が帰ると他の4人がやって来てアルバムを製作という事が繰り返された。そのうちイアンとアルはスタジオに来なくなった。まあ脱退したって事は後で知ったけどね…。それから僕らがアルバムを仕上げ、1年間のツアーに出て、次のアルバム『H2O』を製作する為にスタジオに戻って来てみると彼らはまだスタジオでアルバムを製作していたんだよ。それから僕らが『H2O』を仕上げてロードに出ても、まだ『4』を製作していたね。結局、彼らの方が僕らの約15倍ものレコードを売り上げる事になったけど
— ダリル・ホール
出典
^ a b Prato, Greg. Foreigner Biography, Songs, & Albums - オールミュージック . 2023年4月4日 閲覧。
^ Greene, Doyle (2012). Teens, TV and Tunes: The Manufacturing of American Adolescent Culture . Jefferson, North Carolina: McFarland, Incorporated, Publishers . p. 182. ISBN 978-0-786-48972-5
^ Weinstein, Deena (2015). Rock'n America: A Social and Cultural History . University of Toronto Press. p. 164. ISBN 978-1-442-60015-7
^ Goldsmith, Melissa Ursula Dawn (2019). Listen to Classic Rock! Exploring a Musical Genre . Santa Barbara, California: ABC-CLIO. p. 8. ISBN 978-1-440-86579-4
^ 元スプーキー・トゥース
^ Foreigner プロフィール - ワーナーミュージック・ジャパン
^ Foreigner バイオグラフィ - BARKS
^ http://www.songfacts.com/detail.php?id=12053
^ フォリナーのミック・ジョーンズ、心臓のバイパス手術を受ける。順調に回復 - amass
^ フォリナーのミック・ジョーンズとルー・グラムが10年ぶりの共演パフォーマンスを披露 - amass
^ フォリナーのオリジナル・メンバー、エド・ガリアルディが死去 - amass
^ フォリナー 81年作『4』楽曲を現在の編成で再現したライヴ・アルバム『The Best Of Foreigner 4 & More』を発売 - amass
^ フォリナーが40周年を記念したベスト・アルバム『40』をリリース、新曲2曲も収めた全40曲入り - amass
^ ルー・グラム、フォリナーのツアー参加を認める - BARKS
^ フォリナー、クラシック・ライナップ&現ラインナップ参加の『Double Vision』40周年記念公演スタート - amass
^ “元キング・クリムゾンのイアン・マクドナルドが逝去。享年75歳 ”. NME JAPAN (2022年2月11日). 2022年2月12日 閲覧。
^ “FOREIGNERがライヴ活動に終止符を打つフェアウェル・ツアーを発表! ”. BURRN! ONLINE . 2022年11月20日 閲覧。
^ “オジー・オズボーン、フォリナー、ピーター・フランプトンがロックの殿堂入り ”. BARKS (2024年4月22日). 2024年4月23日 閲覧。
^ “ルー・グラム、フォリナーのロックの殿堂入りに「ほっとした」 ”. BARKS (2024年4月25日). 2024年4月26日 閲覧。
^ https://www.allmusic.com/artist/p4296/charts-awards
^ “austriancharts.at - Austria Top 40 ”. austriancharts.at. 2010年2月25日 閲覧。
^ Canadian peaks
^ “Musicline.de - Chartverfolgung - Foreigner ”. musicline.de. 2010年3月29日 閲覧。
^ “norwegiancharts.com - Norwegian charts portal ”. norwegiancharts.com. 2010年2月25日 閲覧。
^ “charts.org.nz - New Zealand charts portal ”. charts.org.nz. 2024年1月21日 閲覧。
^ “hitparade.ch - Foreigner ”. hitparade.ch. 2010年3月29日 閲覧。
^ everyHit.com search results Archived October 12, 2008, at the Wayback Machine .
^ “FOREIGNER songs and albums ”. Official Charts Company. 2024年1月21日 閲覧。
^ a b c d e f g h i j k l RIAA Gold and Platinum Search for albums by Foreigner
^ a b “BPI Certification ”. British Phonographic Industry. July 16, 2016時点のオリジナル よりアーカイブ。August 18, 2016 閲覧。
^ “ARIA Charts - Accreditations - 1997 Albums ”. Australian Recording Industry Association . May 28, 2008時点のオリジナル よりアーカイブ。July 7, 2012 閲覧。
^ a b c The Bpi
外部リンク
スタジオ・アルバム コンピレーション・アルバム ライブ・アルバム
クラシック・ヒッツ・ライヴ | Extended Versions | Can't Slow Down ... When It's Live!
シングル 関連項目