1500年2月2日、スペインの探検家ビセンテ・ヤーニェス・ピンソンがこの地に到着し、"Santa Maria de la Consolación"と名前を付けた事から始まる。1603年にポルトガル人Pero Coelho de Souzaが、São Tiago砦を建設し、"Nova Lisboa"の居住区を創設した時より、植民地化が開始された。その後、オランダがブラジル北東部を占領し、Schoonenborch砦を築いた。オランダ人がセアラーから駆逐された時、ポルトガル人は街を、"Fortaleza de Nossa Senhora da Assunção"と再命名した。1726年、砦の町は、村に昇格した。1799年、セアラー州は、Pernambuco州から分離され、フォルタレザがその州都となった。
19世紀の間、フォルタレザは、綿産業が成長し、これによってセアラーの中心都市としての地位を確立した。欧州との直行航路が増加し、1812年、フォルタレザ税関が創設された。1824年、エクアドル連合(Confederation of the Equator)の革命家たちの目標となった。1846から1877年の間、経済発展とインフラ整備が進み、街は繁栄した。綿花が輸出され、1845年の2つの中学校と"Ceará and Mucuripe灯台"、1861年の"Santa Casa de Misericórdia de Fortaleza"、1864年の"Prainha Seminary"、1867年の図書館、1870年にはBaturité鉄道の建設とともに開始された公共交通ネットワークの建造など、様々なものが建てられた。
1870、1880年代は、奴隷解放論者と共和主義者の時代と言われている。1884年3月25日、セアラーでアフリカ系ブラジル人奴隷の解放が行われた。4年後には、ブラジルに完全に奴隷はいなくなった。文学においては、1892年に"Spiritual Bakery"が起き、ブラジル文学会に先鋭的な思想が広まった。1887年にCeará Instituteが、1894年にCeara's Academy of Lettersがそれぞれ創設された。