フリスト・ボネフ
フリスト・アタナソフ・ボネフ(Hristo Atanasov Bonev (ブルガリア語: Христо Aтанасов Бонев、1947年2月3日 - )は、ブルガリア出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。 来歴選手時代クラブレベルでは1959年にロコモティフ・プロヴディフへ入団して以来、選手生活の大半を過ごし[1]、5度のブルガリア年間最優秀選手賞を受賞した。1979年に国外のクラブへの移籍が認められ、ギリシャのAEKアテネへ移籍[1]。晩年は古巣のDFSロコモティフへ復帰し、1984年に現役を引退した。 ブルガリア代表としては1967年3月22日に行われた西ドイツ代表戦で代表デビューを飾った[2]。1970年のFIFAワールドカップ・メキシコ大会ではグループリーグのペルー代表戦で1得点[2]、1974年のFIFAワールドカップ・西ドイツ大会では1次リーグのウルグアイ代表戦で1得点をあげた[2]。その後、1979年4月25日に行われたアルゼンチン代表戦を最後に代表から退くまで、国際Aマッチ96試合に出場し48得点を記録した[2]。 引退後引退後は指導者の道へ進むと、ブルガリアやギリシャ、キプロスのクラブで監督を務め、1988-89シーズンにギリシャのパナシナイコスFCの監督としてリーグ優勝[3]、キプロスのAPOELニコシアでは1996年にリーグとカップの二冠に導いた。1996年からはブルガリア代表監督を務め、1998年のFIFAワールドカップ・フランス大会出場に導いたが[3]、本大会ではグループリーグ初戦のパラグアイ代表戦で引分け、勝ち点1を獲得したものの、最終戦のスペイン代表戦で1-6と大敗を喫してグループリーグ敗退という結果に終わる。 大会後も続投したがEURO2000地区予選第1戦のポーランド戦に0-3で敗れ辞任した。 2000年にドイツのザクセン・ライプツィヒを率いたのを最後に監督業から遠ざかっていたが、2010年に古巣のロコモティフ・プロヴディフの監督を務めた[3]。 代表歴出場大会試合数
個人タイトル
脚注
外部リンク
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