ブルース・ブラザーズ (The Blues Brothers、または The Blues Brothers' Show Band and Revue) は二人のコメディアン、ジョン・ベルーシとダン・エイクロイドを中心に結成されたブルース・R&B・ソウルのリバイバルバンド。略称はBB。メインボーカルのベルーシがジョリエット・ジェイク・ブルース (Joliet Jake Blues) 、ハーモニカ/バッキングボーカルのエイクロイドがエルウッド・ブルース (Elwood Blues) という義兄弟のキャラクターに扮した。演奏のブルース・ブラザーズ・バンドには実名の一流ミュージシャンたちが参加した。
このスケッチは SNL の録画テープを見た出演者や週ごとの司会者の間で評判となり、エイクロイドとベルーシが場所を借りて始めたバー Aykroyd's Holland Tunnel Blues bar に通うようになった。エイクロイドとベルーシはこの店のジュークボックスをサム&デイヴやThe Viletones(英語版)のような沢山のアーティストの曲で一杯にし、また店にはアンプや楽器を揃えておき、誰でもそこでジャムセッションを演奏できるようにした。ここでエイクロイドは映画『ブルース・ブラザーズ』の元となったストーリーを執筆した(その分量から「分厚い本」として知られている)。
このバー(Aykroyd's Holland Tunnel Blues bar)でエイクロイドはベルーシにブルースを紹介した。単なる興味の対象だったブルースに強く魅き着けられるようになり、二人は地元のブルースバンドと共にブルースを歌うようになった。SNL のバンドリーダーであるハワード・ショアは冗談で「ブルース・ブラザーズ」を名乗るように勧めた。1988年 4月、シカゴ・サンタイムズのインタビュー記事で,ブルース・ブラザーズのスタイルはサム&デイヴなどから拝借したとエイクロイドは語った:「デュオのスタイルやダンスについては言うまでもないが、ソフト帽はジョン・リー・フッカーに倣ったんだ。スーツについては、まじめな話、1940年代~60年代のジャズプレイヤーだったらスーツを着なくちゃならんという考え方による。」
I said Woman, you going to walk a mile for a Camel
Or are you going to make like Mr. Chesterfield and satisfy?
She said that all depends on what you're packing
Regular or king-size
Then she pulled out my Jim Beam, and to her surprise
映画『ブルース・ブラザーズ』の DVD 版[11]に同梱された 1998年のドキュメンタリー「Stories Behind the Making of The Blues Brothers」でクロッパーは語り、友人たちの中にはクロッパー他ブルース・ブラザーズでバックバンドに参加したミュージシャンはハリウッドへの売り込みもしくは手っ取り早く金を手にする方を選んだと思っていたことを明らかにした。クロッパーはこれに対して、彼がバックを務めたシンガーたちに比べてベルーシは同等かそれ以上であると主張した。彼はまた、ベルーシは一時期プロのドラマーで特に鋭いリズム感を持っていたことに触れた。
映画と同時にブルース・ブラザーズの初めてのスタジオ録音アルバムであるサウンドトラックがリリースされた。「Gimme Some Lovin'」は Top40 に達し、バンドは映画のプロモーションとしてツアーを行った。このツアーにおいて、1980年のギブソン・アンフィシアターの様子を録音したものは彼らの三枚目のアルバム(そして二枚目のライブ・アルバム)『メイド・イン・アメリカ(英語版)』となった。「Who's Making Love」は 39位にまで上り詰めた。このアルバムはベルーシのジェイク・ブルースが聴ける録音のうち最後のものになる。
1981年、『ベスト・オブ・ブルース・ブラザーズ(英語版)』が発表された。それまで未発表であったバージョンの「The Soul Survivors(英語版)」、「Expressway to Your Heart」、同じく未発表の「Everybody Needs Somebody to Love」と「Rubber Buiscuitt」の別録音が収められ、初期のコンピレーション・アルバムとして長い間販売された。1998年のイギリスのコンピレーション・アルバム『The Complete Blues Brothers』では、それまで「Soul Man」の B面でしか聴けなかったLamont Cranston(英語版) の「Excuse Moi Mon Cheri」をフィーチャーした。
エイクロイドはブルースの支持者として精力的に活動を続け、この、いわば副業で得た収入をHouse of Blues(英語版)(米国内でフランチャイズ展開しているナイトクラブ)の創設と所有権の保持(一部)に費やしている。
ジョン・ベルーシの弟であるジェームズ・ベルーシは "Zee"・ブルースとしてしばらくの間ブルース・ブラザーズ・バンドとツアーを行い、アルバム『Blues Brothers and Friends: Live from House of Blues(英語版)』を録音した。しかし彼は『ブルース・ブラザース2000』には出演していない。それは彼へのオファーがマイティ・マック(ジョン・グッドマンが演じた)の役ではなく、保安官 "キャブ"・チャンバレンの役だったからとの噂もある(結果としてこの役はジョー・モートンが演じた)。ジェームズ・ベルーシは後にエイクロイドと『Belushi/Aykroyd - Have Love Will Travel』という名前のアルバムを制作したが、ブルース・ブラザーズとしてではない。
House of Blues や北米のいろいろなカジノでは定期的にエルウッドとジーによるブルース・ブラザーズが演じられている。普段はジェームズ・ベルーシの Sacred Hearts バンドがバックバンドを務めている。ブルース・ブラザーズ・バンドの他のメンバーは定期的に世界ツアーを行っている。バンドに残っているオリジナルメンバーはスティーヴ・クロッパーとルー・マリーニだけとなり、ボーカルは "The Rock & Roll Doctor" Jonny Rosch、ときにエディ・フロイドが参加する。
エイクロイドは現在、エルウッド・ブルースのキャラクターでDial Global(英語版)ラジオ・ネットワークの番組「House of Blues Radio Hour」のホストを務めている。
ブルース・ブラザース・バーはベルーシとエイクロイドがもぐりで始めた小さな酒場で、シカゴ オールドタウン(英語版)のWells Street(英語版)沿い、「セカンド・シティ」から通りを渡った向かい側で、ナイトクラブ「Earl of Old Town」の裏にあった。バーはCollege of DuPage(英語版)にいたベルーシの友人たちによって経営されており、無免許での開業であったため、アルコールを手に入れるには「バーテンダーに飲み物を頼むためのチケット」を購入する必要があった。1982年当局に店の存在が知れてしまい、すぐに閉店を余儀なくされた。
^エイクロイドは 2009年の秋に Downchild Blues Band 40周年のツアーに参加している: "… when one thinks of blues music in Canada, the first name that springs to mind is DOWNCHILD. It’s been 40 years since Donnie 'Mr. Downchild' Walsh and his late brother Hock, formed the renowned group that would be the inspiration for the world famous Blues Brothers. DOWNCHILD plans to celebrate this anniversary in style, with some very special friends—including blues brother and movie icon DAN AYKROYD and that's why they call it the Blues." News Release, July 21, 2009; www.downchild.com. See also Cross Reference At Blues Brothers Central; www.bluesbrotherscentral.com, where it is also mentioned that when the Blues Brothers played the Casino Rama in 2005, Donnie "Mr. Downchild" Walsh appeared as their guest.