ペドロ・シモセ
ペドロ・シモセ・カワムラ(Pedro Shimose Kawamura、1940年3月30日 - )は、現代ボリビアにおける国民的詩人であり、ジャーナリスト、作詞家。 経歴1940年3月30日、 ボリビア北西部にある ベニ県のリベラルタで日本人男性とリベラルタ出身で日系2世の女性との間に7人兄弟の長男として生まれる。 少年時代は主にリベラルタで教育を受けた。19歳でボリビアの中心部ラパスにある名門サン・アンドレス大学に入学する。 しかしその後中退してヨーロッパへ留学するため旅立つ。 スペイン滞在中にアンダルシア人女性と出会い、そして1966年に結婚する。 1971年、ウゴ・バンセル・スアレス将軍が軍事クーデターを起こす。これにより左派だったシモセはスペインへ亡命した。 1972年、キューバで『ぼくは書きたいのに出てくるのは泡ばかり』が、カサ・デ・ラス・アメリカス賞を受賞する[1][2]。 1999年再び政権に返り咲いたウゴ・バンセル・スアレス大統領政府が公式にシモセに謝罪した。同年にボリビア国民文化賞を受賞[3]。 人物彼の詩は政治的な非常にひらめきのある言葉で有名であった。その詩はボリビア国民にナショナル・アイデンティティを植え付け、かつ人々を社会的抑圧から解放した。 ボリビアの学校の教科書には彼の詩が掲載されており、子供達はその詩を学んだりしている。 シモセの作品はドイツ語、フランス語、ロシア語、アラビア語、トルコ語、イタリア語、オランダ語、その他、世界中にある多数の言語に翻訳されている。 ジャーナリストとしても活動しており、マスメディアにおいて積極的に発言している。音楽関係では、作詞や作曲を手掛けており人気がある。 作品
作詞
邦訳『ぼくは書きたいのに、出てくるのは泡ばかり ペドロ・シモセ詩集』細野豊, 現代企画室, 2012 関連項目脚注外部リンク |