ポリーナ・オシペンコ
ポリーナ・デニソヴナ・オシペンコ(ロシア語: Полина Денисовна Осипенко、ウクライナ語: Поліна Денисівна Осипенко、1907年10月24日(ユリウス暦 10月7日) - 1939年5月11日)は、ソビエト連邦の軍人。ソ連邦英雄。最終階級は空軍少佐。1938年、ヴァレンティナ・グリゾドゥボワおよびマリーナ・ラスコーヴァとともに、モスクワからオホーツク海までを直線無着陸飛行したことで知られる。女性飛行士による最長飛行記録を樹立した功績から、1938年11月2日に女性初のソ連邦英雄受章者となった。3人の中ではオシペンコが最初に受章し、同日グリゾドゥボワとラスコーヴァもソ連邦英雄を受章している[2]。 経歴前半生オシペンコは、ロシア帝国・エカテリノスラフ県ノヴォスパソフカ(現ウクライナ・ザポリージャ州オシペンコ村)で、1907年にウクライナ人農家の9番目の子として生まれた。出生時の名前はポリーナ・デニシヴナ・ドゥドニク(Поліна Денисівна Дудник)である。1930年まではコルホーズで働き、1930年から1933年までの3年間は、タタール自治ソビエト社会主義共和国のカザニ航空学校に通っていた[3]。 飛行士としてカザニ航空学校を卒業した後は、空軍将校として戦闘機を操縦した。1937年、オシペンコは飛行高度に関する世界記録を3本樹立している[4]。10月、オシペンコとラスコーヴァはモスクワ-アクチュビンスク間1,444.722キロメートル (897.709 mi)を飛行し、女性による飛行距離記録を残した。1938年7月には、ヴェラ・ロマコおよびラスコーヴァとともに、ベリエフ MP-1を用いてセヴァストポリ-アルハンゲリスク間の無着陸飛行を行い、新記録を打ち立てた[5]。 9月24日、グリゾドゥボワ、オシペンコ、ラスコーヴァの3人は、ANT-37「ロージナ」を用いてモスクワから極東のコムソモリスク・ナ・アムーレへ無着陸直線飛行を行った。しかしながら、彼女らは悪天候のためにコムソモリスクの飛行場を見失ってしまった。燃料が底をつく中、オホーツク海の海岸を発見した彼女らは、機長を務めていたグリゾドゥボワの判断で森へ胴体着陸を行った。航法士のラスコーヴァはパラシュートでの脱出を命じられたが、その際に応急用品の携行を忘れてしまったため、彼女は救助隊の下に辿り着くまで10日間森の中を彷徨い歩いた。なお、救助隊が「ロージナ」を発見したのは、胴体着陸から8日後のことである。グリゾドゥボワと副操縦士であるオシペンコは機内に留まったため、着陸の衝撃を受けたが無事生還を果たした。彼女らの飛行は女性による最長飛行記録であり、その功績から1938年11月2日にソ連邦英雄が授与された。第二次世界大戦前、女性でソ連邦英雄となった人物はこの3人のみである[2]。 1939年5月11日、アナトリー・セロフとの訓練飛行中に墜落事故を起こし死去[3]。遺体はクレムリンの壁墓所に葬られた。 叙勲
顕彰
郵便
脚注
外部リンク
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