フォルム・ロマヌム内での位置(赤丸)
平面図
北側廊 筒型ヴォールトの八角形の格間
マクセンティウスのバシリカ (ラテン語 : Basilica Maxentii , イタリア語 : Basilica di Massenzio )は、古代ローマ 時代にフォルム・ロマヌム に建てられた公会堂(バシリカ )。コンスタンティヌスのバシリカ (ラテン語 : Basilica Constantiniana )や新バシリカ (ラテン語 : Basilica Nova )と表記されることもある。
歴史
マクセンティウスのバシリカは、テトラルキア 時代のローマ帝国皇帝マクセンティウス が308年に北側部分より建設を始め、ミルウィウス橋の戦い でマクセンティウスを破って帝国を再統一した皇帝コンスタンティヌス1世 が、312年に完成させた。この時すでに使われなくなっていたと思われるウェスパシアヌスのフォルム (平和の神殿)と、ウェヌスとローマ神殿 の間に建てられている。
バシリカの建物全体のサイズは幅65m×奥行き100mであり、建物中央の身廊 は幅25m×奥行き80m×高さ39mという巨大なものであった。身廊は4本の巨大な柱で支えられた交差ヴォールト (英語版 ) の天井となっており、西端部のアプス には、高さ12mという巨大なコンスタンティヌス1世像(Colossus of Constantine )が置かれていた。また、側廊 の天井は身廊方向を向いた筒型ヴォールト となっている。
建物の東側はアーケード、南側は4本の柱で支えられたプロスタイル (英語版 ) 式の門となっていた。
中央の身廊および南側の側廊は、847年の地震でほぼ倒壊したと考えられている[ 1] 。また、1349年の地震で身廊の天井は完全に倒壊したようである。最後まで残っていた高さ20mの支柱は、教皇パウルス5世 が手がけたサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 の建築に流用された。現在残っているのは北側の側廊 部と、コンクリート製の筒型ヴォールト だけである[ 2] 。この天井は重量を軽くするため、内面に八角形の格間 を設けるなど、高度な建築技術が用いられている。
古代ローマ でバシリカ の役割は、その巨大な中央ホール部分(身廊部)を利用しての元老院 議事堂や裁判 の場、あるいは会議場であった。壁に沿ったニッチ(壁龕 )には様々なローマ神 の像が置かれているのが普通であった。キリスト教を公認したコンスタンティヌス1世 や、その後継者たちは、このバシリカ の建築様式を教会堂 の建築に適用した。後に、「バシリカ」とは巨大な教会堂建築の建築様式を指す言葉に変容した。
現在、マクセンティウスのバシリカの外壁は茶褐色を呈しているが、破壊される前の色は白であった。現在、フォリ・インペリアリ通り (英語版 ) 側の壁面には、ベニート・ムッソリーニ が作らせた時代別のローマ帝国の全体図が4枚掲げられているが、ムッソリーニの夢であった「新ローマ帝国想定図」は取り外されている。
建築技術
マクセンティウスのバシリカは建設時点で(単体の建物としては)最大の建造物であり、トラヤヌスの市場 やディオクレティアヌス浴場 の築造で得られた最新の技術を投入した作品であった。同種の建築物であるバジリカ・ウルピア 等と比較して、アーチ構造の屋根で覆われた巨大な空間を持っており、従前のバシリカではなくローマ浴場 の空間形態に似ていた。つまり、丸屋根にすることで荷重を効率的に柱に分散させる技術を用いていたということである。
関連項目
ローマ市内の古代ローマ時代のバジリカ
参考文献