マルセロ・エスティガリビア
マルセロ・アレハンドロ・エスティガリビア・バルモリ(Marcelo Alejandro Estigarribia Balmori, 1987年9月21日 - )は、パラグアイ・フェルナンド・デ・ラ・モラ出身の同国代表サッカー選手。ソル・デ・アメリカ所属。ポジションはミッドフィールダー(左ウイング)。 クラブ歴キャリア初期パラグアイのクルブ・スポルト・コロンビアにてプロキャリアをスタート。2006年にセロ・ポルテーニョに移籍した。2008年にはリーグ・アンのル・マンUCに移籍。しかし出場機会が限られたため2009年12月27日にアルゼンチンのニューウェルズ・オールドボーイズへ期限付き移籍となった[1]。その後ローン期間が1年延長され、買い取りオプションが付帯された[2]。ニューウェルズは経済的な理由でオプションを行使せず、ル・マンはリーグ・ドゥへの降格が決定。2011年8月9日にウルグアイ2部リーグのデポルティーボ・マルドナドへ移籍した[3]。 イタリア時代2011年8月28日、セリエAのユヴェントスFCへ500万ユーロの買い取りオプション付きのレンタル移籍が決まった[4]。アントニオ・コンテ監督の下、10月16日のACキエーヴォ・ヴェローナ戦で80分にエマヌエレ・ジャッケリーニとの交代でセリエAデビュー。11月29日のSSCナポリ戦では、ユヴェントス在籍時で唯一となるゴールを挙げた。クラブは2011-12シーズンのセリエAを制しスクデット獲得を経験した。しかしシーズン終了後にクラブはオプションを行使せず、2012-13シーズンはUCサンプドリアでプレー[5]。レギュラーとして公式戦合計35試合に出場し2得点を記録した。2013年8月29日、ACキエーヴォ・ヴェローナへのローンとなる[6]。2014年1月30日、アタランタBCへ加入[7]。10月に後述の代表戦で重傷を負い、2014-15シーズンを棒に振った[8]。2016年2月5日にレンタルバックとなった[9]。 セロ・ポルテーニョ以降イタリアから帰国すると、セロ・ポルテーニョへシーズンローンとなり8年振りに古巣へ復帰する[10]。 2017年1月24日、リーガMXのチアパスFCへ期限付き移籍[11]。2017年7月にはCAコロンへのシーズンローンが決定し、再びアルゼンチンでプレーすることとなった[12]。 2021シーズンはクルブ・オリンピアへローンで加入[13]。ネストル・ゴロシート監督率いるクラブで1年間プレーする[14]。 代表歴2008年5月22日のコートジボワールとの親善試合にてパラグアイ代表デビュー。2010年4月1日の南アフリカとの親善試合にて代表初ゴールを記録。コパ・アメリカ2011では全試合に出場し、チームの準優勝に貢献した。 2014年10月11日に行われた親善試合・韓国戦で、右膝前十字靭帯を断裂し6か月以上の離脱となった[15]。 人物エスティガリビアの姓はバスク地方に由来し、母親がイタリア系のため同国のパスポートも所持している[16]。3人兄弟で育ち、幼少時から「Marcelo」の指小形である「El Chelo」の愛称で呼ばれる。 既婚であり2人の娘を儲けている[17]。 個人成績
タイトルユヴェントス[18] 脚注
外部リンク
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