Share to: share facebook share twitter share wa share telegram print page

マーク・バーリー

マーク・バーリー
Mark Buehrle
トロント・ブルージェイズ時代
(2015年8月19日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミズーリ州セントチャールズ
生年月日 (1979-03-23) 1979年3月23日(45歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
245 lb =約111.1 kg
選手情報
投球・打席 投左打
ポジション 投手
プロ入り 1998年 ドラフト38巡目(全体1139位)でシカゴ・ホワイトソックスから指名
初出場 2000年7月16日
最終出場 2015年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

マーク・アンソニー・バーリー(Mark Anthony Buehrle, 1979年3月23日 - )は、アメリカ合衆国ミズーリ州セントチャールズ出身の元プロ野球選手投手)。左投左打。

経歴

プロ入りとマイナー時代とホワイトソックス時代

シカゴ・ホワイトソックス時代
(2011年8月11日)

ジェファーソン短大1年時の1998年6月にMLBドラフト38巡目(全体1139位)でシカゴ・ホワイトソックスから指名され、翌1999年5月に入団契約を交わした。

同年A級バーリントン・ビーズでプロデビューを果たし、20試合に登板し四球はわずか16と制球力は非の打ち所がなく、トム・グラビンと比較された[1]

2000年に、傘下のマイナーリーグAA級バーミングハム・バロンズで16試合8勝4敗、防御率2.28の好成績を残し、フューチャーズゲームにも選出された[1]。シーズン途中の7月にAAA級を飛び越えてメジャーに昇格し、7月16日のブルワーズ戦で、チームが11-4とリードした9回表に登板しメジャーデビュー。1点を失うが後続を抑え、試合を締める。その後3試合に先発したが、先発3試合目に3.2イニングで5失点と打ち込まれ、シーズン終了までリリーフに回された。

2001年先発ローテーションに定着。5月から4か月連続で月間防御率2点台を記録し[2]、8月3日のタンパベイ・デビルレイズ戦では四死球0の1安打ピッチングを見せた[3]。9月に失速するまで防御率はリーグ1位で[1]、シーズン通して221.1投球イニング(リーグ10位)で16勝8敗、防御率3.29(同4位)、WHIP1.066(同1位)を記録。

2002年には開幕投手を務め、19勝(リーグ4位)12敗を記録した。ホワイトソックスの左腕投手としては1975年ジム・カートが20勝(14敗)を記録して以来26年ぶりとなる19勝[4]を挙げたバーリーは、この年以降2006年まで5年連続で開幕投手に起用されるなどエースの座をつかむ。

2003年シーズン終了後に球団はバーリーと3年総額1800万ドルで契約延長した[1]

2004年2005年には2年連続でリーグ最多投球回を記録。2004年5月11日のボルチモア・オリオールズ戦から2005年7月26日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦まで「49試合連続6イニング以上登板」という記録を打ちたてるなど "イニングイーター" (多くのイニングを投げる投手のこと)ぶりを発揮した。7月21日のクリーブランド・インディアンス戦、被安打の2走者を併殺打でアウトにするなど、打者27人で完封勝利を挙げた。

2005年は、オールスターゲームで先発登板して勝利投手となり、シーズン通算では防御率3.12と自己最高を記録。ワールドシリーズでは、第2戦に先発登板し勝ち星を挙げ、第3戦ではチームが7人の救援投手を使い果たし延長14回二死一・三塁の場面で自ら登板を志願し、アダム・エバレット遊飛に抑えセーブを記録した[5]。2試合連続登板で「先発→セーブ」のパターンを記録したのはワールドシリーズ史上初のことであった[6]。その後チームは4連勝で88年ぶりのワールドシリーズ制覇を達成。

2006年5月14日のミネソタ・ツインズ戦では、初回に7失点しながら勝利投手となった。これは1900年9月29日にジャック・パウエルセントルイス・カージナルス)がオーファンズ(現:カブス)戦で記録して以来106年ぶりの珍事であった。この年は12勝13敗で初の負け越し、防御率も4.99で自己最低を更新するなど、前年から一転して低迷。特に後半戦は14試合で3勝7敗、防御率6.44と大不振に陥った。それでもホワイトソックスは契約オプションを行使し、バーリーは2007年もホワイトソックスで投げることになった。オフに球団は2008年から3年総額3300万ドルで契約延長を打診したが拒否した[7]

契約最終年となった2007年、バーリーは4月18日のテキサス・レンジャーズ戦でノーヒットノーランを達成した。ホワイトソックスの投手としては16年ぶりの達成で、5回にサミー・ソーサ四球を1つ与えただけ、しかもその後すぐ牽制球で仕留め打者27人で試合を終了させた "準完全試合" だった。以降6月終了時点まで15試合に登板し、5勝4敗、防御率3.33を記録。7月8日、バーリーとホワイトソックスは4年5600万ドルで契約延長に合意した[8]。シーズン通算では、2001年以降では自己最少となる30先発、201.0イニング、10勝(9敗)に終わったが、防御率は3.63と持ち直した。

2009年7月23日、タンパベイ・レイズ戦で完全試合を達成(en:Mark Buehrle's perfect game)。この偉業により、ホワイトソックスファンであるバラク・オバマ大統領から祝福の電話を受けた[9]。次の登板となった7月28日のミネソタ・ツインズ戦でも6回二死まで1人の走者も許さず、ジム・バーとチームメイトのボビー・ジェンクスが持っていた41者連続アウトを更新する45者連続アウトのMLB新記録を達成した[10]。なおこの記録は、2014年8月にヤスメイロ・ペティット(46打者連続アウト)によって更新されている。

ホワイトソックスには2011年まで在籍し、2001年から11年連続で200イニング、2桁勝利を達成した。

マーリンズ時代

マイアミ・マーリンズ時代
(2012年4月13日)

2011年12月8日にマイアミ・マーリンズに4年総額5800万ドルの契約で移籍した。

2012年も200イニング、2桁勝利をクリアしてそれぞれ12年連続とした。

ブルージェイズ時代

2012年11月13日にジョシュ・ジョンソンホセ・レイエスユネル・エスコバーら総勢12人が動く大型トレードでトロント・ブルージェイズに移籍した[11]

2013年当初は乱調が続き、5月には一時防御率が7点台まで落ちこんだが、その後は持ち直した。先発ローテーションを守り、13年連続で、200イニング、2桁勝利をクリアした。

2014年は5月までに9勝(防御率2.33)を記録するなど、ハイペースで勝ち星を積み重ねた。7月には、2009年以来5年ぶりにオールスターゲームに選出された[12]。6月以降はやや失速したが、メジャー2年目の2001年から14年連続となる2桁勝利(13勝)、200イニングをクリア。投球イニングが14年連続で200回を超えたのは、1901年以降では史上7人目の記録である[13]

2015年は開幕から好調を維持し、7年ぶりの15勝、4年ぶりの1桁敗戦となった。その一方後半戦でやや失速し、15年連続200イニングは逃した。特に、シーズン最終戦でのマウンドでは、5安打を浴びて8失点を喫し、1イニング持たずに降板[14]。オフの11月2日にFAとなった[15]が、これが現在まで最後のMLB出場になっている。

バーリーのホワイトソックス在籍時の背番号「56」。
シカゴ・ホワイトソックスの永久欠番2017年指定。

2017年2月23日、古巣ホワイトソックスはバーリーの在籍時の背番号『56』を永久欠番に指定することを発表した[16]

選手としての特徴

球速は遅いものの、多彩な変化球を低めに集めて打たせて取る、典型的な技巧派左腕。バーリーの投球について、元チームメイトの井口資仁は「バーリーの時は、しっかり打たれたゴロじゃなくて、打ち損じた打球がよく飛んでくる気がする」と語っている[17]。持ち球は、85 - 89mph(約136.8 - 143.2km/h)の沈む速球に、打者の手元で鋭く曲がるスライダー、大きく曲がるカーブ、それにチェンジアップなど[18]。制球が良いため「("精密機械" と呼ばれる制球を武器に通算300勝を挙げた)グレッグ・マダックスに最も近い投手」と呼ばれることもある[17]イチローは「左バッターのアウトコースいっぱいのところへボール1個分のコントロールができる」と評価している[19]

投球のテンポがいいため、バーリーの登板する試合は他の試合に比べて早く終わることが多い。2005年4月16日のマリナーズ戦は過去20年で最短の1時間39分で終わっている[1][20]。また、体に負担をかけない投げ方をしているため故障が少なく、長いイニングを投げられることも特徴。2004年から2005年にかけて、49試合連続6イニング以上登板という記録を打ち立てた。バーリー自身は「普通は1イニング15球がベストと言われるけど、オレは10 - 12球で抑えることを目標にしている。マウンドに立つたびに、9イニングを90球で終わらせることをめざしている」と自らの投球哲学を語っている[17]

また、ゴールドグラブ賞フィールディング・バイブル・アワードをそれぞれ4年連続で受賞しているように、メジャー屈指の守備力を誇る投手である。そのフィールディング能力は自身の持ち味である、打たせて取る投球の大きな支えとなっている。

一方で、ニューヨーク・ヤンキースとは相性が非常に悪く、2004年4月10日の対戦で勝利して以来12連敗を喫しており、通算でも1勝14敗(勝率.067)と苦しんでいる。また打者ではイチローを苦手としており、通算で63打数27安打、打率.429とカモにされている。この被打率はイチローが50打席以上対戦したメジャーの投手の中では最も高い[21]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2000 CWS 28 3 0 0 0 4 1 0 3 .800 225 51.1 55 5 19 1 3 37 0 0 27 24 4.21 1.44
2001 32 32 4 2 0 16 8 0 0 .667 885 221.1 188 24 48 2 8 126 1 5 89 81 3.29 1.07
2002 34 34 5 2 1 19 12 0 0 .613 984 239.0 236 25 61 7 3 134 6 1 102 95 3.58 1.24
2003 35 35 2 0 1 14 14 0 0 .500 978 230.1 250 22 61 2 5 119 1 0 124 106 4.14 1.35
2004 35 35 4 1 2 16 10 0 0 .615 1016 245.1 257 33 51 2 8 165 0 0 119 106 3.89 1.26
2005 33 33 3 1 2 16 8 0 0 .667 971 236.2 240 20 40 4 4 149 2 2 99 82 3.12 1.18
2006 32 32 1 0 0 12 13 0 0 .480 876 204.0 247 36 48 5 6 98 0 1 124 113 4.99 1.45
2007 30 30 3 1 1 10 9 0 0 .526 835 201.0 208 22 45 5 5 115 1 0 86 81 3.63 1.26
2008 34 34 1 0 1 15 12 0 0 .556 918 218.2 240 22 52 4 5 140 4 0 106 92 3.79 1.34
2009 33 33 1 1 1 13 10 0 0 .565 874 213.1 222 27 45 3 5 105 2 1 97 91 3.84 1.25
2010 33 33 3 0 2 13 13 0 0 .500 897 210.1 246 17 49 1 1 99 3 5 105 100 4.28 1.40
2011 31 31 0 0 0 13 9 0 0 .591 858 205.1 221 21 45 3 2 109 1 0 93 82 3.59 1.30
2012 MIA 31 31 1 0 0 13 13 0 0 .500 828 202.1 197 26 40 3 4 125 2 0 88 84 3.74 1.17
2013 TOR 33 33 1 1 0 12 10 0 0 .545 876 203.2 223 24 51 3 9 139 2 0 100 94 4.15 1.35
2014 32 32 0 0 0 13 10 0 0 .565 857 202.0 228 15 46 0 4 119 2 1 83 76 3.39 1.36
2015 32 32 4 1 2 15 8 0 0 .652 827 198.2 214 22 33 4 7 91 2 1 100 84 3.81 1.24
MLB:16年 518 493 33 10 13 214 160 0 3 .572 13705 3283.1 3472 361 734 49 79 1870 27 16 1542 1391 3.81 1.28
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



投手(P)












2000 CWS 28 1 9 1 2 .909
2001 32 11 49 3 5 .952
2002 34 6 46 2 2 .963
2003 35 15 38 0 3 1.000
2004 35 16 51 4 3 .944
2005 33 13 45 2 2 .967
2006 32 9 35 1 3 .978
2007 30 13 34 1 3 .979
2008 34 18 34 0 5 1.000
2009 33 13 41 1 5 .982
2010 33 4 46 0 4 1.000
2011 31 15 40 1 4 .982
2012 MIA 31 13 47 0 5 1.000
2013 TOR 33 12 35 2 1 .959
2014 32 12 29 1 2 .976
2015 32 11 29 3 4 .930
MLB 518 182 608 22 53 .973

表彰

記録

背番号

参考資料

  1. ^ a b c d e Mark Buehrle Biography” (英語). JockBio. 2008年9月27日閲覧。
  2. ^ Mark Buehrle 2001 Pitching Splits” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年9月27日閲覧。
  3. ^ August 3, 2001 Tampa Bay Devil Rays at Chicago White Sox Box Score and Play by Play” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年9月27日閲覧。
  4. ^ "2002 Career Highlights," The Official Site of The Chicago White Sox. 2008年1月25日閲覧。
  5. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』廣済堂出版、2006年、98頁頁。ISBN 978-4-331-51146-6 
  6. ^ a b Mark Gonzales, "Extra! Extra! Sox win!," ChicagoSports.com, October 26, 2005. 2008年4月14日閲覧。
  7. ^ 三尾圭「契約最終年の10人 運命のシーズンを迎えし者たち」『スラッガー』2007年5月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-8、26 - 27頁
  8. ^ Associated Press, "Buehrle signs 4-year deal to stay with White Sox," ESPN.com, July 8, 2007. 2008年4月14日閲覧。
  9. ^ オバマ大統領から祝福(MLB.com)
  10. ^ Buehrle sets mark with 45 straight retired Breaks old record of 41 consecutive outs in fifth inning”. whitesox.com (2009年7月28日). 2009年7月30日閲覧。
  11. ^ Blue Jays To Acquire Johnson, Reyes, Buehrle From Marlins MLB Rumors
  12. ^ Gregor Chisholm (July 7, 2014). “Three Blue Jays named to All-Star team/ Bautista, Encarnacion and Buehrle will represent Toronto at Target Field on July 15”. MLB.com. October 31, 2014閲覧。
  13. ^ Buehrle hits 200 IP for 14th straight year in win MLB.com
  14. ^ October 4, 2015 TOR VS TBR - Baseball-Reference.com (英語) . 2015年10月7日閲覧。
  15. ^ Transactions | bluejays.com” (英語). MLB.com (2015年11月2日). 2015年11月3日閲覧。
  16. ^ Chicago White Sox to retire Mark Buehrle's number” (英語). ESPN (February 23, 2017). April 3, 2017閲覧。
  17. ^ a b c 阿部寛子 「マダックスの遺伝子を継ぐ者たち 技巧派投手たちの美学」 『月刊スラッガー』2005年10月号、日本スポーツ企画出版社、2005年、雑誌15509-10、34-37頁。
  18. ^ Lindy's, "Preview 2008: Chicago White Sox," FOX Sports on MSN, March 10, 2008. 2008年4月14日閲覧。
  19. ^ 石田雄太 「[開幕3連戦から探る]イチロー&マリナーズ「2年目の野心」」 『Sports Graphic Number』547号、文藝春秋、2002年、雑誌26854-4・25、52-56頁。
  20. ^ "Apr 16, 2005, Mariners at White Sox Play by Play and Box Score," Baseball-Reference.com. 2008年4月14日閲覧。
  21. ^ "[1]," Baseball-Reference.com. 2014年9月21日閲覧。

関連項目

外部リンク

Kembali kehalaman sebelumnya