ムアンウボンラーチャターニー郡座標: 北緯15度13分44秒 東経104度51分16秒 / 北緯15.22889度 東経104.85444度
ムアンウボンラーチャターニー郡(ムアンウボンラーチャターニーぐん)は、タイ東北部・ウボンラーチャターニー県の郡(アムプー)である。同県の県庁所在地(ムアン)でもある。 名称旧名プッパパラニコム (「花の村」の意、บุพปลนิคม) である。1909年、ブーラパーウボン (「東の蓮」の意、บูรพาอุบล) と改称され、1913年県の名前に合わせてウボンラーチャターニー(「蓮の王都」)と改称された[1] 。長い為ウボンと略される。 歴史プラ・ター、プラ・ウォーという二人のチャムパーサック王国の兄弟が現在の1733年移り住んだ。この二人は後にヴィエンチャン王国のブンヤサーン王に攻撃され、プラ・ウォーは殺される。1777年ヴィエンチャン王国のブンヤサーン王の攻撃を受けて、二人の息子である、ターオ・カムポンとターオ・ティッサプロム、ターオ・カムは人々を引き連れ、翌年に都をウボンの付近の現在のドーンモットデーン郡に定めた。1792年ラーマ1世は現在のウボンの中心地に街を設置、美称としてウボンラーチャターニーシーワナーライの名を戴き、チャクリー王朝の朝貢国となった。 ラーマ4世(モンクット)の治世には、ワット・スパッタナーラームがウボン近辺におけるタンマユットニカーイ布教の中心地として建設され、宗教都市としての様相を見せるようになり、ラーマ5世(チュラーロンコーン)の治世にはフランス領インドシナとの交流の中心となり、教育機関や政府機関が設置され、タイ国際東部の中心都市としての様相を見せる様になる。1932年ウボンラーチャターニー県が成立、ウボンはその県庁所在地となった。 地理街はムーン川の形成した平地にある。地理的・経済的に南部のワリンチャムラープ郡とは切っても切れない関係にあり、ワリンにウボンラーチャターニー駅が存在し、両郡の周囲をリエンムアン通りが囲み、両郡をムーン川が隔てている。ムーン川は雨季には氾濫し、ムーン川沿いの住民は同季節には高台に避難する。市の北部にはウボンラーチャターニー国際空港がある。 気候雨季はおおよそ4月の終わりから10月の初めごろまでである。乾季は非常に乾燥し、月に一度程度しか雨が降らない。
経済市内の主要な産業は農業で、主な生産品は米である。 交通バスバンコク、チェンマイ、ナコーンラーチャシーマー、ウドーンターニー、ラヨーンなどタイ各地からの直通バスがある。 ラオスのパークセーへの国際バスの直行便も運行している。 鉄道ウボンラーチャターニー駅はバンコクから東北東に伸びる国鉄東北線・南線(ウボン線)の終着駅であり、タイ最東端の駅である。 ただし同駅の所在地はムアンウボンラーチャターニー郡ではなく、ムーン川を隔てた南岸側のワーリンチャムラープ郡である。 行政区分郡内には12のタムボンがあり、その下位に148の村(ムーバーン)が存在する。郡内には二つの自治体(テーサバーン)が存在し以下のようになっている。
また、郡内には11のタムボン行政体が存在する。 以下のリストで欠番のタムボンは分離し、ドーンモットデーン郡、ラオスアコーク分郡に編入された郡である。
参考文献
脚注
外部リンク
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