ムアンスコータイ郡座標: 北緯17度0分30秒 東経99度49分24秒 / 北緯17.00833度 東経99.82333度
ムアンスコータイ郡(ムアンスコータイぐん)は、タイの北部にある郡(アンプー)。スコータイ県の県庁所在地(ムアン)でもある。大きく旧市街と新市街に分かれており、新市街から西に12kmほどの地点に旧市街があり、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたスコータイ歴史公園がある。 名称県名の後ろに thai が付いているが、国名のタイとは関係ない。県名はサンスクリット語の sukha udaya(タイ語: สุขา อุทัย)が融合して、タイ語風に訛ったもので、「幸福 (sukha) の夜明け[1]」(幸福の誕生)を意味する。 歴史歴史は古く、5世紀頃にはプラヤー・パーリーラーチャーが国を建てたとするタイの北方の文献が存在するが、実証を得ない。プラ・ルワン伝説によれば、11世紀頃には国が建っていたとするが、あくまで伝説でありこれも実証を得ない。いずれにせよ、この地は当時より交易の要所であり、ずっと西進すればベンガル湾にまで到達できた上、スリランカや南インドの港市とも交流があったと推測される。13世紀にスコータイ王朝がシーインタラーティット王によって建てられる頃には、既にクメール王朝下で旧市街は都市として機能したと考えられており、その後、スコータイ王朝はアユタヤ王朝によって吸収され消滅するが、アユタヤ王朝下でも地方中核都市として機能していた。1767年ビルマ軍の侵略によって、旧市街は壊滅寸前にまでおちいったが、トンブリー王朝を経てチャクリー王朝が成立すると、チャクリー王朝初代の王ラーマ1世がヨム川沿いに市街地を移し、新市街を形成した。瓦礫と化した旧市街から、遺跡の煉瓦が首都建設のため持ち去られた。 1896年、現在のムアンスコータイ郡にあたるスコータイ郡が成立。1932年にはスコータイが、県はサワンカローク県(すでに廃止、現在はスコータイ県)に編入され、市街地はスコータイターニーと名を変えた。その後、1949年にスコータイは再編成され、ムアンスコータイ郡は県庁所在地になりスコータイ県が成立した。 地理市内の重要な水源としてヨム川があり、稲作に適した地形である。 経済市内のほとんどの産業は農業である。 交通は、南北に国道101号線が通っており、北はウッタラディット、プレー方面に通じ、南はカムペーンペット方面に通じている。国道12号線は東西に通っており、東はピッサヌローク方面に、西はターク方面に通じている。 行政区分市内は10のタムボンに分かれ、その下位に97の村(ムーバーン)がある。郡内には3つの自治体(テーサバーン)があり以下のようになっている。
また、スコータイ市内には9つのタムボン行政体が置かれている。以下は市内のタムボンの一覧である。
スコータイを舞台とした作品
その他のスコータイ
脚注
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